い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は上伊那を訪れたことがあったか?

こんにちは!

先日、歴史漫画『ヤマトタケルノミコト』を読んでいた折、

「遠征ルートから推測すると上伊那を通っているのでは?

と思い、『古事記』を読んで調べてみることにしました。

 

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は東国征伐の後、

大和に戻る途中で亡くなったとされています。

そこで、アタリをつけて読んでみます。

 

すると

「其の国より科野国に越えて、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来」

(甲斐の国から信濃の国へと越えて、信濃の坂の神を征服して、尾張の国に帰ってきた)

とありました。

 

科野の坂とは下伊那郡阿智村にある神坂峠を指すのだそうです。

「山梨県から長野県に入り、下伊那郡阿智村を通って愛知県に帰ってきた」のですから、

古事記の記述が史実だとすれば

ルートからして日本武尊は上伊那に来たことがある、と言えるのではないでしょうか!

 

そこで、上伊那に日本武尊にまつわる話がないか調べてみます。すると・・・

 

『上伊那誌』、『宮田村誌』によると、

辰野町には、日本武尊が休んだとされる沓掛石(くつかけいし)、

宮田村には、大田切川を渡るときに腰かけたとされる御座石(ございし)があるとのこと。

また、日本武尊が駒ケ根市赤須を通った際、当地の長、赤須彦がもてなして御食津彦の名を賜り、

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