2016.10.04 [ 歴史・祭・暮らし ]
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は上伊那を訪れたことがあったか?
こんにちは!
先日、歴史漫画『ヤマトタケルノミコト』を読んでいた折、
「遠征ルートから推測すると上伊那を通っているのでは?」
と思い、『古事記』を読んで調べてみることにしました。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は東国征伐の後、
大和に戻る途中で亡くなったとされています。
そこで、アタリをつけて読んでみます。
すると
「其の国より科野国に越えて、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来」
(甲斐の国から信濃の国へと越えて、信濃の坂の神を征服して、尾張の国に帰ってきた)
とありました。
科野の坂とは下伊那郡阿智村にある神坂峠を指すのだそうです。
「山梨県から長野県に入り、下伊那郡阿智村を通って愛知県に帰ってきた」のですから、
古事記の記述が史実だとすれば
ルートからして日本武尊は上伊那に来たことがある、と言えるのではないでしょうか!
そこで、上伊那に日本武尊にまつわる話がないか調べてみます。すると・・・
『上伊那誌』、『宮田村誌』によると、
辰野町には、日本武尊が休んだとされる沓掛石(くつかけいし)、
宮田村には、大田切川を渡るときに腰かけたとされる御座石(ございし)があるとのこと。
また、日本武尊が駒ケ根市赤須を通った際、当地の長、赤須彦がもてなして御食津彦の名を賜り、
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