い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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古の夏の木立に【井月さんのこころ69】

 ステージ上では、駒ヶ根市制60周年を記念して誕生したPRキャラクター「こまかっぱ」が盛んに愛嬌を振りまいていました。「アルクマ」も応援に駆けつけました。




 引き続いて行われた記念講演では、駒ヶ根市出身のオペラ歌手 佐野成宏さんの「信濃によせて」のお話しや市内の小中学生との合唱などが披露されました。


 県歌「信濃の国」の合唱もありましたが、残念ながら2番までの合唱でした。
 ここから話は、駒ヶ根市に因んで、少し飛躍しますが、お許しいただいて‥‥
 県歌「信濃の国」の6番に、「吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山」という歌詞が出てきますね。
 この歌詞は、日本書紀では日本武尊(やまとたけるのみこと)、古事記では倭建命(やまとたけるのみこと)と表記される神話の英雄ヤマトタケルが、自分の身替りとして亡くなった妻の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)を偲んで、「吾妻はや(吾が妻よ)‥‥‥」と嘆いたとされる故事からきている歌詞なのです。
 ヤマトタケルは、碓氷峠(鳥居峠の説もある。)で平定した東国(吾妻)を見渡した後、千曲川沿いに海野(東御市)を通って、駒ヶ根の地(御蔭杉(みかげすぎ)の下)で休んで手厚いもてなしを受け、神坂峠を越えて尾張に戻ります。その後、美夜受比売命(みやずひめのみこと)と結婚しますが、草薙の剣を帯びずに伊吹の山の神を討ちに出かけ、命を落としてしまいます。
 ヤマトタケルの魂は、大きな白鳥となって大空に舞い上がります。
 「海野(うんの・東御市)」という地名や「白鳥神社(しらとりじんじゃ・東御市)」 「大御食神社(おおみけじんじゃ・駒ヶ根市)」は、いずれもヤマトタケルに因んでいるのです。

 話しのついでに、「歴史・文化をテーマとした広域観光ネットワーク研究プロジェクト 報告書(平成24年3月)」「6 ヤマトタケルノミコト望郷の旅」などから該当部分を抜粋しましょう。
 (報告書の順番と少し異なります。報告書の正確性にも少し疑義がありますが‥‥‥。)

白鳥神社(しらとりじんじゃ・北国街道海野宿)
 倭建命を祭神とする神社。倭建命が東征の折、碓氷の坂を越え信濃に入り、海野の地に立ち寄った際、眼前の千曲川原を見て「この海も野となれ」と言ったのが地名の由来と言われている。
 倭建命が亡くなった後、その魂が白鳥となって飛び立ち、海野の千曲川原に舞い降りていったということから、その場所を白鳥河原と称し、その場所に倭建命を祭ったのが白鳥神社の起源と伝わる。
 (長野県東御市)

矢彦神社(やひこじんじゃ)
 タケミナカタを祀る神社。信濃国二之宮としての格式があり、御柱神事は諏訪本社の翌年に行われる。
 タケミナカタが小野の里に入られてしばらくこの地に留まったと言われている。また、倭建命(ヤマトタケル)も東征の際に立ち寄ったと言われている。
 (長野県上伊那郡辰野町)
 注:タケミナカタを主神に祀るのは、お隣の「小野神社(塩尻市北小野)」です。矢彦神社の主神はタケミナカタの父神である「大已貴命(おおあなむちのみこと)」すなわち「大国主命」なのです。
  参考に、遡回その19その59をご覧ください。

大御食神社(おおみけじんじゃ)
 倭建命が東征の帰りにこの地に立ち寄り、手厚いもてなしを受けたことに感謝し、この地の豪族赤須彦に大御津彦の名を賜った。
 これを記念し、倭建命が休まれた御影杉の根元の地を大御食神社とし、倭建命を祀った。
 (長野県駒ヶ根市)

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