2013.09.09 [ 歴史・祭・暮らし ]
南箕輪村の小さな富士山
【伊那谷で富士山発見!】
魅力発掘探検隊員のGです。
南箕輪村にある田畑富士塚に行ってきました。
中央自動車道の傍ら、老人ホーム「松寿荘」の南側にある、高さ3mほどの富士塚です。周りを林に囲まれており、高速道路の近くにも関わらず、閑静で景色のいいところでした。
【 田子の浦に うち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 】
…と詠んだのは、奈良時代初期の歌人、山部赤人。日本一の高嶺に、雪が降り積もっていく美しさを詠んだこの古歌、目を閉じればその情景を鮮明に思い浮かべることが出来ます。
一方、現代音楽(?)で富士山を取り上げた歌と言えば、「あ~たま~を雲の~う~えにだ~し~」で始まる「富士山」が有名でしょうか。
また、美術の分野でも富士山は大活躍です。江戸時代に描かれた葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、その代表ですね。
この様に様々な分野で取り上げられるほど、日本人から圧倒的な支持を得ている富士山。国内だけでなく、「Mt.FUJI」として海外でも非常に高い知名度と人気を誇っている日本の名峰ですが、更にその存在価値を高からしめた出来事と言えば、なんと言っても今年6月の世界文化遺産登録!
これを機に、一度は登ってみようとチャレンジした人も多いのではないでしょうか。
昔の人も、歌に詠んだり絵画のモチーフにしているばかりではありません。
日本一の名峰が持つ力に触れたい、と、富士登山は平安時代から行われ、江戸時代には一生に一度の大娯楽と言っても過言では無いほど、当時の人々にとっての贅沢となりました。
けれども、贅沢と言うだけあって、誰でも富士山に行けたわけではありません。
そこで出現したのが、富士山を模した「富士塚」。行けないのなら、ミニチュア版富士山を作ってそこに詣でよう!そのようにして、「富士塚」は江戸時代に急激に広まりました。
その一つが、田畑富士塚です。
田畑富士塚は火口まで再現されており、富士山頂上火口を一周する《お鉢巡り》も出来るようになっていました。
そして誰もが登れるよう作られたこの南箕輪村の富士塚は、市街地が見下ろせる所に佇んでいます。
江戸時代の人たちは、富士塚を登ることで富士山を詣でると同時に、自分たちの生活を富士山に見守っていて欲しいという願いも込めたのかもしれません。
残念ながら今年の富士山の夏山シーズンは終わってしまいましたが、こういうときこそ「富士塚」の出番です!
夏山登山に間に合わなかったと思っていらっしゃる方、伊那谷の市街地を見守り続けてくれている「田畑富士塚」へ登拝してみてはいかがでしょうか。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804