い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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「御射山社址」 ごしゃさん? ごしゃやま?

 地域魅力発掘探検隊のHです。

 以前上伊那に勤務していたとき、まだ工事中だった権兵衛トンネルの伊那側の出口近くで「御射山」という現場を担当したことがありました。「みさやま、か・・・。三才山トンネルと関係あるのか?」と思ったものです。それから十数年。発掘探検隊で南箕輪村の「御射山社址」を訪れました。

 春日街道「駒美」の信号を箕輪町方面に少し走ると、道の左側に大きな木が生えている一角があります。社址=神社の跡。建物がないので、よく通る道ぞいなのに今まで全然気づきませんでした。広さは十数メートル四方。社叢というにはこじんまりとしていますが、標柱と案内板が見えます。


 車を止めて近づくと、標柱には「御射山社鳥居跡-古代の大社の鳥居跡と碑」とあり、奥には「御射山社」と彫られた石碑が。この石碑、竹で囲われているのですが、竹垣というにはなんだかラフな感じでした。

 隣に立っている説明板には、石碑裏の文の現代語訳などが記されています。御射山社は809年に建てられたものの、1585年の地震で倒壊したこと。地元の人たちが1827年にこの石碑を建てたこと。近くには鳥居原・前宮・前宮原など、神社ゆかりの地名が残っていること・・・など。

 809年といえば約1200年前…。歴史に疎い私には、どんな時代だったのかいまひとつ実感がわきません。この際、御射山社が辿った年月をほかの出来事と並べみようかと、ネットで検索してみました。

 ○神社造営…大同4年(809年)
  平安京遷都から15年。空海35才、最澄42才。・・・壮大すぎる・・・。
 ○地震で社殿倒壊…天正13年(1585年)
  徳川軍が上田城を攻め、真田昌幸がこれを退けた「第1次上田合戦」。
  ・・・おぉ、信州の出来事が。
 ○石碑建立…文政10年(1827年)
  小林一茶が現信濃町で没。西郷隆盛が現鹿児島市で誕生。・・・ほほぅ。

 今はなにげなく通り過ぎてしまう場所ですが、平安時代から幕末まで長~い歴史があることがわかりました。

 案内板に「毎年8月26日に穂屋祭が行われる」とあったので、再度訪れてみました。

 入り口には縄が張られ、存在感が増しています。奥の石碑はすすきの屋根が掛けられていました。これが「穂屋」ということでしょうか。最初に訪れた時、石碑を囲む竹垣(のようなもの)を見て「これは???」と思ったのですが、こういう目的があったんですね。

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