2016.02.27 [ 歴史・祭・暮らし ]
二日灸すえる頃 【井月さんのこころ155】
また、日本におけるグレゴリオ暦の導入は、井月さんが51歳の頃、明治5年(1872年)のことでした。これもウィキペディアには、次のとおり。
当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、政府の財政状況が逼迫していたことによる。すなわち、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となる。すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならない。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ。また、明治5年も12月が2日しかないので、11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる。
ということで、明治5年12月2日の翌日を、明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としたとのことなのです。
いずれも為政者の都合によって変えられてきた歴史があるのですね。
さて、井月さんの句の紹介は、春の句になりましたが、まだまだ寒い日が続いています。
21日(日)午後、中川人形保存会(大場茂明会長)の人形浄瑠璃第5回定期公演が中川村の文化センターで開催されました。
演目は、「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると) 順礼歌の段」「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら) 渡し場の段」。幕間に中川西小学校の皆さんの「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると) 順礼歌の段」のビデオ発表もありました。
巡礼娘(お鶴) 「あ~い~ ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します~」
江戸時代の末、大阪の人形遣い切竹紋次がこの地に遺した人形を基に明治15年に人形浄瑠璃が始まり、戦後この地に疎開していた東京の二子玉川国民学校の保護者からお礼に贈られた人形を加えて盛んになった人形浄瑠璃は、後継者不足で50年前に途絶えてしまいましたが、中川人形保存会が4年前から飯田市の今田人形座などの支援を受けて再興し、技を磨いて、演目も増やして、中川村の公民館活動としても定着しました。
長野県の地域発元気づくり支援金を活用して活動の輪を広げてきた、この中川人形保存会の人形芝居「切竹紋次人形」再興事業は、昨年11月14日駒ヶ根市で開催された「い~な 上伊那 地域づくりフォーラム」において長野県知事賞を受賞し、更に、11月21日に大町市で開催された「やまびこフォーラム2015in大北」において、特に優れた取組みとして長野県内で3つの事業のみに贈られる「地域発 元気づくり大賞」を受賞しました。また、中川村公民館も全国で5館の「優秀公民館」の一つに選ばれたとのことです。
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人形浄瑠璃見物に中川村に向う途中、飯島町七久保の「花の里いいじま」に立ち寄ったところ、玄関前に御射山(みさやま)神社の御柱「四の柱」が展示されていました。
今年「申歳」は、信濃国一之宮「諏訪大社」の御柱年。下伊那郡松川町上片桐、上伊那郡飯島町七久保、中川村葛島、同村片桐の4地区に跨る氏子を持つ松川町上片桐の御射山神社も、今年が御柱年です。
中川村観光協会のホームページによれば、この御射山神社の御柱祭は、今回が50回目を数えるのだそうです。山出し祭は3月20日(日)に、里曳き祭・建御柱は4月2日(土)に行われる予定とのことです。こちら。
御射山神社は、諏訪明神が狩りに出掛ける地に祀られている神社で、あちらこちらにあります。遡回その24、その75、その129にも登場しました。
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