2013.04.09 [ 歴史・祭・暮らし ]
人形芝居 50年振りに復活!
地域政策課のRです。今日は「地域発 元気づくり支援金」を活用し、50年間途絶えていた人形浄瑠璃を復活させた中川村の取組をご紹介します。
人形浄瑠璃とは、三味線伴奏で語る義太夫に合わせて人形を操る人形芝居です。
伊那谷にはかつて約30座の人形芝居がありましたが、現在も活動しているのは4座(今田、黒田、早稲田(以上飯田市)、古田(上伊那郡箕輪町))だけです。
中川村では、江戸時代末期、人形師切竹紋次(きりたけもんじ)がもたらした人形により、明治15年横前人形として人形芝居が始まり、大正の終わりから昭和の初めにかけて大いに発展したそうです。また、太平洋戦争中に中川村に疎開していた世田谷区の二子玉川国民学校の保護者から戦後贈られた人形を加え、再び盛んになりましたが、昭和37年に後継者がいなくなり人形芝居は途絶えてしまいました。
最終興行から50年の節目の昨年、中川村公民館と中川人形保存会では、残されている人形や衣装、台本を使って人形芝居を復活させようと、飯田市の今田人形座の協力を得て、3カ月稽古を重ねてきました。
その成果発表会として、3月24日に半世紀振りの復活興行「切竹紋次人形再び」が中川村文化センターで開催されました。会場は村内外から訪れた約200人のお客さんで満員でした。
当日の演目は、人形浄瑠璃の定番のひとつ「傾城阿波鳴門 順礼歌の団」(けいせいあわのなると じゅんれいうたのだん)で、阿波のお家騒動を題材に生き別れた母と娘が再開する場面を描いたものです。
傾城阿波鳴門の題名は知らなくても、娘のお鶴の「あ~い~ ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します~」というセリフはどこかで聞いたことがある人も多いと思います。
人形は3人1組で操りますが、三味線の音色や義太夫に合わせて生き生きと動く人形を見ていると、知らず知らずのうちに親子の愛情を描く物語の世界に引き込まれてしまいました。
50年の時を経て再び息を吹き込まれた「切竹紋次人形」は、これからも地域の宝として末長く継承されていくことでしょう。
※切竹紋次人形の実物は、中川村歴史民俗資料館でご覧になることができます。(開館時間は火・木曜日の午前9時~午後4時、入館料は大人100円、小中高生50円)
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