2013.11.07 [ 歴史・祭・暮らし ]
地域の姿を変えた一大事業 ~西天竜幹線用水路~
こんにちは。
魅力発掘探検隊の中年Mです。
まだ暑い夏の盛りの頃。
歴史・祭・暮らしグループは、上伊那の歴史に関する魅力発掘を行うため、南箕輪村から箕輪町にかけて、車で春日街道を北上しておりました。
すると、春日街道沿いの左側に巨大な石碑を見つけました。
これは、「西天竜幹線用水路」と「開田事業」を記念して昭和25年に建てられた記念碑で、高さ8m、厚さ60cm、重さ30トンの日本一と言われるほどの巨石。
これほどの巨大な記念碑が建てられた「西天竜幹線用水路」とは何か?
私たちは、西天竜幹線用水路に寄り道をしながら、さらに北上して行きました・・・
かつて、水の乏しかったこの地域では、水田を拓くことが江戸時代からの悲願だったそうです。そして、この悲願を実現するために、長い年月をかけて開かれたのが「西天竜幹線用水路」です。
時代に沿ってみてみますと、
明治39年(1906年)に5ヶ村の関係者が期成同盟会を結成
大正8年(1919年)に西天竜耕地整理組合が設立
大正11年(1922年)に工事着工
昭和3年(1928年)、6年間をかけて水路が完成
昭和14年(1939年)、引続いて行われた開田工事が完成
当初の期成同盟会結成のときから33年を経て、ついに、約1,200ヘクタールの水田が誕生しました。
あの巨大な「西天竜開田記念碑」(箕輪町)には、「鍾水豊物(みずをあつめものをゆたかにす)」と記されているそうですが、この言葉どおり、現在のこの地域は、豊かな穀倉地帯に姿を変えました。
さて、西天竜幹線用水路にかかわる場所にもう1箇所寄り道をしてみました。
田園風景の中を渡るこの橋は、「八乙女の水路橋」(箕輪町)です。
昭和2年(1927年)に完成したこの橋は、昭和17年(1942年)に造られた深沢サイフォンにルートが変更されたことにより、水路橋としての役目を終えました。
しかしながら、今年86歳を向かえるこの橋は、現在も町道として現役で活躍しており、水に替わって、人や車を運んでいます。
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