い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

しあわせ信州 > 長野県魅力発信ブログ > い~な 上伊那 > 歴史・祭・暮らし > 七五三の頃【井月さんのこころ36】

七五三の頃【井月さんのこころ36】


その前日17日(日)伊那文化会館で「伊那能」がありました。



最初の演目は、能「小袖曽我(こそでそが)」。
工藤祐経を親の仇と狙う曽我兄弟は、源頼朝が催す富士の巻狩に紛れて仇討ちをしようと、出発前に最後の暇乞いのため母を訪ねます。しかし弟・五郎時致(ときむね)は出家するようにとの母の命に背き勘当の身のため会ってもらえません。
兄・十郎祐成(すけなり)の説得をも拒絶した母でしたが、涙にくれて立ち去る兄弟を見て、ついに許します。
兄弟は喜びの舞を舞い、名残を惜しみながら決死の覚悟で狩場へと向かいます。

曽我兄弟については、仇討ちを果たした後に兄・十郎祐成が捕えられて殺され、愛人・虎御前が悲しんで流したという「虎が雨」について、遡回その17で井月さんの句を紹介しましたね。

続く演目は、狂言「素袍落(すおうおとし)」
伊勢参りを題材にした酒好きな太郎冠者を演じた山本東次郎師の楽しい狂言でした。

最後の演目は、能「石橋(しゃっきょう)」。
紅白の牡丹が咲く石橋の彼岸は文殊菩薩の浄土。短い演目ですが、重要無形文化財総合保持者・坂井音重師が白獅子(親)を、御子息の音隆師が赤獅子(子)を、緊迫感ある「乱序」の囃子に乗せて、親獅子は威風堂々と、子獅子は活発俊敏に舞い納めました。

「伊那能」は、地元の「能と狂言に親しむ会(会長 観世流 中家実師)」が中心となって尽力されて定着させた今年で22回目を数える恒例の能楽公演で、日本の伝統芸能を地域で鑑賞できる貴重な機会となっています。

その17日(日)近くにある山之神様の秋の例祭が執り行われました。
當屋(とうや)の組の方から注連縄が間に合わなくなったので作って欲しいと頼まれて、急遽前日に編んで納めました。近くに祀られている秋葉神社や金比羅様などの神様や鳥居の分も含めて7組。
写真:山之神(辰野町小野押野細洞口)



この駒沢山(西山)の山之神様の秋祀りは、古くは旧暦10月10日「十日夜(とおかんや)」に斉行する慣例であったようです。昔は子供たちが藁鉄砲で田の土手を叩いて廻り、神様を山へ帰したと伝えられています。
現在では、休戸、押野耕地の当番組が當屋を務め、小野山林組合役員などが参加して、細洞口徒道(かちみち)の御山の社において11月中旬の日曜日に行なわれることが慣例になっています。
上伊那でも「とおかんや」の行事は各地で残っており、「案山子あげ(カカシアゲ)」の日ともいわれ、この日、田の神は山へ帰るといわれています。

『上伊那誌』の民族編(上)の「山の神祭」の欄には、次のような記述がでてきます。
十日夜に「案山子あげ」を行ったというのは、北部の辰野町に多い。(中略)
辰野町小野休戸では「案山子あげ」の日であるから、鎌を案山子の神様に供える。また、山の神の祭りであるから、山の神の七つある鳥居のうち一番古いものを焼いて、新しい鳥居を一つ加える。各家ではオカラコをツットコに入れて行き、マナバシで山の神や近くにある神々に少しずつ供え、余りは鳥居を焼いた火で焼いて食べる。ツットコは地上に捨てず、必ず木に吊るしておく。(「上伊那誌資料一」)

残念ながら、藁鉄砲を叩いた幼い頃の記憶は残っているものの、この記述にある鳥居の建替えや案山子あげの一連の十日夜(とおかんや)行事は廃れてしまい残されていません。

山の神は、春、里に降りて、田の神となり、秋、収穫後に山へ帰り、山の神となるという言い伝えは全国で聞かれる伝承のようです。
旧暦10月10日に行われる刈上げ(稲刈りを終わった後、家々や村単位での祝い)の行事で、関東甲信地方で行われており、西日本一帯にみられる亥子(いのこ)という刈上げの行事と対応しているといわれ、藁ボテで地面を叩くという共通した行事が残っている地域もあるようです。

1 2 3

このブログのトップへ

このブログや記事に関するお問い合わせ窓口

上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804