い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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四国八十八カ所霊場~上伊那でお遍路さん?~

こんにちは! 魅力発掘探検隊のJです。

 

今回紹介するのは、「四国八十八カ所霊場」です。といっても上伊那を飛び出すわけではありません

伊那市手良の蟹澤集落という所に四国八十八カ所霊場の「巡拝塔」があるのです。

 

さっそく訪ねてみました。
手良小学校前」交差点を北東方向に進み、集落の中を登っていきます。2㎞ほど進んだところで、左手に川が出てきます。そのあたりに「四国八十八観音」という看板が立てられているので、そこを左折し、民家の間の細い道を山の斜面に向かって登ります。(案内板に従って進みます)
すると、目の前に多くの石仏が現れました これが「四国八十八カ所霊場」の巡拝塔です。

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仏像の種類は様々で、薬師如来や十一面観音などがあります。数も八十八より多いようです。
石仏は、巡礼できるようにするためか、ほぼ2段に分けて並べられています。ちょっと不思議な光景でもあります。当時の人々の信仰に思いを馳せることができました。

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この石仏群が造立されたのは幕末の弘化時代(1844~1847年)で、周辺の村々の寄進によって作られたようです。
幕末のこの時期は、不安定な世相を反映して、伊勢神宮の参拝などがさかんに行われており、この八十八カ所霊場が作られたのも、そうした人々の信仰心の高まりを背景にしているのかもしれません。
実際に四国へ行って「お遍路」はできなくても、身近なところで巡礼できるように、当時の人々が考えたのでしょうか。

 

巡拝塔(石仏)は、四国から持ち帰った小石を土に埋め、その上に直接立てられている「野仏方式」です。仏像は、舟形の石碑に掘られており、素朴な雰囲気があります。

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現在も、当時に造られた石仏が残っているわけですが、戦後の一時期は、ほとんど訪れる人がいなくなり、草木に覆われてしまったこともあったようです
その後、何とかしたいと地元の方々が立ち上がり、平成8年(1996年)から整備が行われ、翌年まで続けられました。整備事業には、集落の方々をはじめ多くの人々が携わりました。

倒れていた石仏の修復建立場所の整備や、周辺へのツツジや桜の植栽なども行われたようです。

 

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