2015.04.18 [ 歴史・祭・暮らし ]
雲水の如くに 【井月さんのこころ110】
居留守は主の意向か、むしろ取次ぎ女の一存であったろう。
(花・春)
10日(金)長久寺さんの鬼瓦を写真に収めようと通勤途上でカメラを向けました。まだ、桜は蕾から咲き始めの頃でした。16日(木)ほぼ満開を迎えました。
井上井月顕彰会会長に就任された北村皆雄監督の「俳人井月――幕末維新 風狂に死す」を読んでいると、井月さんの「尊王と仏教」について書かれている部分に眼が止まりました。 「井月の引かれていたのはそうした(水戸光圀の初期尊王思想のような)仏教に親しい尊王の考えではないだろうか。」という考察に大いに共感を覚えました。
ともかく、この一冊は、明治維新前後の時代背景について、科学的な視座に立脚して、多岐の資料によって丹念に考証しながら、井月さんの心の内面までも深く洞察された「井月研究の画期的な書籍」です。ひたすら「敬服・脱帽」であります。
井月さんの俳諧三部作の二作目『家づと集』(元治元年(1864年)九月刊)の序文は、滞在先の善光寺宝勝院住職の梅塘さんに書いてもらっていることは、遡回その30に記しましたが、その中にもでてくるとおり「武士を捨て入道の姿」で雲水行脚を始めた井月さんです。
明治維新になって廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中で、そんな世の流れと距離を置き、仏教に帰依する「井月さんのこころ」がぼんやりと見えてくる気がします。
井月さんの生き方の根底にもあるものは、西洋文明が急速に入ってきて「文明開化」「脱亜入欧」した明治という時代にあって、「復古」の大和魂の輝きを磨こうと必死にもがいた「夜明け前」の群像(島崎藤村の同名小説に描かれている藤村の父・正樹=主人公・青山半蔵など)にも共通するもの。下島空谷さんが「井月全集」の巻頭に記した一節にある「東洋思想のどん底に閃めく青白い永遠の光を感じないではゐられません。」という言葉そのとおりなのだと改めて思いました。
2013年12月21日 冬至の頃【井月さんのこころ40】
https://blog.nagano-ken.jp/kamiina/nature/144.html
2013年12月28日 餅搗く頃【井月さんのこころ41】
https://blog.nagano-ken.jp/kamiina/life/138.html
行く雲、流れる水の如く、仏に親しさを感じながら自由に生きた「ほかいびと」の俳諧師、井月さんです。
つづみ草入我我入佛加持故 青巒
黄金色なる万徳円満 朴翆
今週の結びは、愚良子先生のこの句です。
「春日愚良子句集」から
花曇酒呑む貌もぼんやりと 愚良子
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