い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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青田に風渡る頃【井月さんのこころ65】

井月さんのこころ シリーズ その65
 田圃を作らなくなって20年近く、永年性牧草に転作してあった4反歩余りのうち半分(一枚)は5年前から利用権設定をして近所の農家に貸し水田に戻りました。もう一枚は草を刈っていただいていた酪農家の方が昨年から牛飼いをやめてしまったため、猪の住処のようになっていましたが、この春にトラクタで2回耕起し、先日、耕耘機で畝立てをしました。
 この耕耘機も、昨年タイヤを新品に取替えて20年ぶりに復活させた、父が愛用したディーゼルエンジンの老兵です。

 植えられた稲苗もすくすくと伸びて、田の青さも増し始めました。
 毎日眺めていても、その変化は少しずつですが、確実に水面が見えなくなってきて青さが増していくのが分かります。
 植田から青田へと移ろう季節です。
 今週のお題は「水」です。

 井月さんは詠みます。

  水際や青田に風の見えて行く  井月

 この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 水路から田に注ぐ水音。水を吸い、陽光を浴びて稲苗はすくすく育つ。眼前に開けた青田のしなやかな葉先がなびいて移動してゆく。風が吹き抜けて行くのだ。瑞穂の国日本の夏。
 「大萱」と詞書がある。伊那市西箕輪大萱(おおがや)は大学もでき都市化したが、昔は広大な畑地帯で、水を苦心して引いて、田を広げていった。
  (青田・夏)

 
 今年の小沢川水権水桝検査(5月9日実施)のブログ記事が掲載されたのは5月下旬のことでした。こちら。

 小沢川水権(与地井、大萱井、上戸・中条井)の3つの井筋が開削され、明治に入ってからこの歴史ある貴重な水源について定期的に水桝検査を行い、分水が協定通り実施されているか調べて記録を保存しているのだそうです。
 ※水権とは水利権のこと、水桝は一定量の水量を確保するために作った桝。

 古くから農業用水の水争いが絶えなかった現在の伊那市西箕輪では、分水嶺を越えて本来日本海へ流れる奈良井川水系の水を引いて田圃を作るようになったとのことです。

 この木曽山から水を引いている水桝検査も6月2日に行われました。ブログ掲載は6月下旬の予定です。
 木曽山用水については、農地整備課のHPにより詳しく掲載されています。
 こちら。

 それによると、
 旧松本藩であった上戸(あがっと)中条集落は、明治5年から奈良井川の源流である白川から権兵衛峠を廻る延長約12キロの水路を鋤鍬を使って作設し、一定量の水を確保するために「水桝」(みずます)を造り、明治8年に筑摩県令により協定を結び管理したとのこと。この水は、天竜川支流の小沢川に一旦流し、同量の水を再び小沢川から上戸中条井(あがっとなかじょうい)へ取り込みすることができるようになり、西箕輪の台地が広く開田されるようになったとのこと。
 その後、昭和34年の伊勢湾台風などでこの水路はたびたび破壊されたため、昭和43年に木曽山トンネルによる新水路を作り、旧水路は使われなくなったものの、現在でも水量を計る「水桝検査」が行われているとのことなのです。
 小沢川の上流(北沢川)から与地井取水口(平岩)、上戸中条井取水口(ごぼう沢)、大萱井取水口(赤岩)の順で水を取っており、木曽山用水(上戸中条井の水権)は木曽山トンネルができた以降は南沢川を流れ、赤岩より下流で北沢川と合流して小沢川となります。

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