2014.11.13 [ 南信州の観光・自然・花 ]
「最も美しい村」の紅葉を愛でながら~ 秋葉古道を歩きたい!2014秋(大鹿村)
一の鳥居の社額は 「葦原神社」ですが、この二の鳥居には 「諏方本社大明神」の額が掲げられています。
(御祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ))
氏子総代の神田さんより、葦原神社についての古くからの言い伝えについてお話を伺いました。
「神代の時代、出雲の国譲りで、建御名方命(タケミナカタ)が出雲から追われて逃げていく中、この鹿塩の
葦原に塩水が湧き出るのを見つけ、鹿や猪の肉を調理し住むのによい、とここに暮らしていた。
ある時、命は塩見岳に登り、遥か彼方を眺めると大きな湖水と自然豊かな地が見えたので、その地に
居を移し社を構え、現在の諏訪大社となった。 かつて諏訪神社(大社)の祭典には、鹿塩からの人々を
招待するための座「鹿塩桟敷(かしおさじき)」が用意され、帯刀羽織袴で祭りに行っていた。」
諏訪信仰の歴史に関する研究では、建御名方命(あるいはその集団)が、出雲から日本海側を通り、
糸魚川から姫川を遡って諏訪に入ったとする説と、伊勢方面から天竜川、伊那谷を遡ってきたとする説があり、
古代信州を考える上での最大級の”謎”となっています。
葦原神社の存在は、天竜川ルート説を裏付ける大きな証拠となるのでしょうか!?
今後、多くの歴女の皆さんと一緒に?考えたいテーマです。
(左) 諏訪の神社の4本の御柱と異なり、御柱は拝殿の前に1本立てられています (写真左の柱)。
(右) 葦原神社舞台(村指定文化財) この東部地区(中峰・梨原・沢井・入沢井)は、大鹿村の地芝居発祥の地
とも言われるほどかつて歌舞伎が盛んに行なわれ、大小小道具や綺羅を自らつくり 「中峰の綺羅」と呼ばれ
大河原方面へも貸し出していたそうです。 現在でも御柱祭には、歌舞伎の奉納上演がされています。
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