南信州お散歩日和

南信州は、広い長野県の南端に位置しています。やわらかい方言が使われ、人も土地柄も温かく穏やかな当地域には、 各所に温泉があり、賑やかなお祭りもたくさんあります。 この地域ならではの魅力を職員がお伝えしていきますので、 南信州にどうぞおいでなんしょ!

飯田城を歩く ⑥番外篇 殿様のお墓

 しつこくてゴメンなさい。「飯田城を歩く」オマケ篇です。
 お城といえばお殿様ですが、飯田藩主の御霊が安置されているお墓が「長久寺」というお寺にあります。
 長久寺は、飯田城から見て北北西、1.5kmほどのところ、大宮諏訪神社のお隣に位置します。
     
 臨済宗の大変立派なお寺で、お寺より一段上の小高い丘にあるお墓の位置からはしっかりと飯田城を臨むことができます。
 しかもお墓は、きちんとお城の方向に向かって建っています。

        【山門】              【羅漢門】

        【本堂】               【鐘楼】
    
    
             【墓所より飯田城を臨む】

 ここにある殿様のお墓は、まず秀吉時代の毛利秀頼(文禄2年(1593年)没)。
 そして江戸初期に飯田を統治した脇坂安元(承応2年(1653年)没)。
 更に城主が堀氏となり、6代堀親蔵(ちかただ)、9代親民(ちかたみ)、11代親義(ちかのり)の3候のお墓と10代親寚(ちかほり)の供養碑です。
 堀氏の区画には、奥方や夭折した若君のお墓もあります。
    
           【毛利秀頼の墓とされる宝筺印塔】

      【脇坂氏の墓所】          【脇坂安元の墓標】
    
               【堀氏の墓所】

  【6代親蔵(ちかただ)の墓標】   【9代親民(ちかたみ)の墓標】

  【11代親義(ちかのり)の墓標】  【10代親寚(ちかしげ)の供養塔】

 秀頼も安元も飯田で病没していますので、お墓が飯田にあるのはわかりますが、12代続いた堀氏は何故この3代(+1)のお墓だけが飯田にあるのでしょうか?
 他の8代のお墓は、江戸の東江寺にあったそうですが現存はしていないようです。(註)
 参勤交代で江戸屋敷にいるときに没したため江戸に埋葬されたのでしょうか?
 また、ここには初代親昌(ちかひさ)、2代親貞(ちかさだ)、4代親賢(ちかかた)を荼毘に付した跡との7代親長(ちかなが)による碑文も残っています。
 しかし、火葬の跡があって墓が残っていないのは何故でしょうか?
 また、当時火葬はそれほどポピュラーだったのでしょうか?
 どなたか御存知の方がいらしたら、是非御教示いただきたいと思います。
※註 「本丸・山伏丸」で触れた御三霊(初代藩主親昌(ちかひさ)、祖父秀政(ひでまさ)、父親良(ちかよし))については、11代親義の命で嘉永3年(1850年)東江寺から飯田にお迎えしたそうです。
 
    【荼毘に付した跡との碑 左側より初代親昌、2代親貞、4代親賢】

 それにしても、さすがに殿様のお墓。
 脇坂氏の墓所も堀氏の墓所もそうですが、その一画だけは門がありきちんと白塀で囲われ他と区分されています。
 廟と言うべきでしょうか?
 飯田を見守る風越山に抱かれて、お墓の中でもそこだけがお城然としています。

<地域政策課>

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