2013.09.02 [ 南信州の伝統・文化・史跡 ]
飯田城下を往く ①の1 寺の街(前篇)
「飯田城を歩く」シリーズが終わったと思ったら、酷似シリーズ「飯田城下を往く」でゴメンなさい。ほんとしつこいですね。
第1回目は「寺の街」。
飯田の街を御存知の方ならお気づきだと思いますが、飯田ではお寺が溢れかえっています。
寺の町というと飯山が有名ですが、山⇒田の飯田も負けていませんよ。
ベージュの下地に〇を付けたところがすべてお寺です。
その数、実に18、直径2kmほどの円の中にこの数はちょっとビックリです。
この地図は飯田城があった頃の模式図ですが、廃止となった1寺と移転した1寺を除きすべて今も同じところに建っています。
飯田の街を囲むように配置されたお寺、その外側に沿って土塁の跡が見られることから、城を守るという戦略上の位置づけを持っていたことは確かなようです。
それでは地図中央の右下の普門院から反時計回りに見てみましょう。
※開山時期については「飯田・上飯田の歴史」(飯田歴史研究所編)等によっています。
【普門院跡と付随する天満宮 真言宗・開山時期不明】
普門院から説明するのには訳があります。普門院は飯田城の丑寅の方角に位置し、飯田の街の鎮守の役割を果たしました。堀氏の祈願所として栄え、御三霊(※註)も最初は長姫神社でなくここに祀られました。
飯田の寺社のなかでの格付けもNo.1で、寺社に通達する文書はまずここを経由して出されました。
だからこそ廃仏毀釈により明治4年(1871年)に廃寺となっています。
跡には以前は「飴金」という大きな料亭がありましたが、今では更地となっており一抹の寂しさを感じます。
※註「御三霊」:堀氏初代飯田藩主親昌、その父親良、祖父秀政の三霊。11代親義の命により江戸・東江寺より飯田に迎える。
【黄梅院 曹洞宗・天正年間(1573~92年)開山 京極氏により島田村から移転】
【正(昌)永寺 曹洞宗・永禄10(1567)年開山 文禄3(1594)年京極氏により移転】
【専照寺 曹洞宗・天正元(1573)年開山 山門に鐘楼が付いている】
この黄梅院、正永寺、専照寺とも敷地内に立派な桜の木を持っていますが、そのご紹介は改めて来春にでもさせていただきます。
【大雄寺 臨済宗・文明17(1484)年開山】
【「殿様のお墓」で紹介した長久寺 臨済宗・享禄年間(1528~32年)開山】
【西教寺 浄土宗・永享年間(1429~41年)開山 天文2(1533)年松川町より移転】
【善勝寺 真宗大谷派・元亨2(1322)年開山 手前は幼稚園、My母園・・・余談】
【龍翔寺 臨済宗・元和7(1621)年開山】
【来迎寺 浄土宗・中世頃開山 飯田では節分会の豆まきで有名】
【永昌院 浄土宗・慶長9(1604)年開山 かつての下伊那中学校跡】
ここまででも既に11寺ですが、この項まだまだ続きます。
ちょっと長くなりそうなのでここまでを前篇とさせていただきます。この続きは後篇のココロだぁ~・・・古いか?
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