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市村一郎記念館を訪ねました

佐久建設事務所のアイです。
軽井沢駅北口側にある市村一郎記念館を訪ねました。
市村一郎氏(初代新軽井沢郵便局長)と尾崎行雄氏(政治家「憲政の神様、議会政治の父」と呼ばれる)とは親交が深く、記念館には、押入の奥にあった木箱から見つかったという当時のお二人の沢山の資料が展示されています。

中でも私が注目したのは、昭和2年(1927)12月に、有志の寄付により架橋(橋長90尺、幅員9尺)された跨線橋の倉賀橋の資料です。

今は、新しい橋(昭和34年(1959)架設)に架け替えられていますが、名前は今も倉賀橋です。
信越本線の上田-軽井沢間が明治21年(1888)12月1日に延伸開業しました。
線路の敷設により、一方では南北の行き来が不便になったことと思います。
鉄道建設から概ね40年後に、南北の連絡性を良くし車の往来を可能にするため、この掘割り状という地形の利を工事に生かせる場所を架橋位置に選定したことでしょう。
橋の名前は、西長倉村と伍賀村の地域を結ぶことから村名から一字ずつとって倉賀橋と尾崎氏が命名したとのことです。

青地に白抜きの図面、写真、開通記念風呂敷の鶴の図案、石碑の拓本などの貴重な資料が残されています。

橋桁、橋脚は、レールを使っています。上部は橋脚からY字型に伸びたレールと橋台から斜めに張り出したレールに支えられた2径間連続方杖ラーメン(π形)形式です。左右対称の美しい経済性のある構造といえるでしょう。
今でも古レールを利用した骨組みを駅でみることができます。(写真は岩村田駅ホームの屋根)

昭和3年に建立した最初の石碑はなくなり、再度、昭和7年に再建されたようですが今は見当たりません。碑文には「倉賀橋之碑此所を横断する人畜物質の危険を有司相計て跨線橋を架し且つ碑を建てて其事を記す」とあり、裏面には橋の建設費を寄付した「松平頼寿」などの名前が刻まれていたようです。
畳大の大きさの石碑です。行方について何か情報がございましたらご一報をお願いします。

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