「旬」の宅配便~佐久っと通信~ いつでも新鮮! 職員が見つけた佐久地域の「旬」の魅力をお届けします。 どうぞ、さくっと見てください。

「旬」の宅配便~佐久っと通信~

いつでも新鮮! 職員が見つけた佐久地域の「旬」の魅力をお届けします。 どうぞ、さくっと見てください。

しあわせ信州 > 長野県魅力発信ブログ > 「旬」の宅配便~佐久っと通信~ > 佐久の歴史 > 佐久市臼田総合運動公園の「造林記念碑」をご紹介します。(その1)

佐久市臼田総合運動公園の「造林記念碑」をご紹介します。(その1)

DSC04188

※造林記念碑の碑文の拡大写真(「明治十五年」等の字を読み取ることができます。)

****

造林記念碑解読文(読み下し文)①

明治十五年(1882年)五月 臼田町有志の者百九十名同盟して部分林の設定を官に請う。官その請(こう)を納(い)れ且つ(かつ)二官八民(にかんはちみん)の利(り)をもって許す 。是(ここ)に於(おい)て衆(しゅう) 岩崎忠太郎を総代となし、松永久次郎を副総代として推(お)す。

相(あい)共(とも)に地を臼田町字(あざ)一之久保ほか七字地籍に卜(ぼく)し、而(しこう)して造林の計画を立て既(すで)に明治二十三年(1890年)に至(いた)り同盟者を増し二百十五名となる。

****

造林記念碑 (現代語訳)(1)

明治十五年(1882年)五月に現在の佐久市臼田の有志者百九十名が一致協同(同盟)して分収林の設定を国に申請した。

国はその申請を受け入れ、官民の分収割合を2対8として分収林の設定を許可した。

これにより人々は、岩崎忠太郎を総代として、松永久次郎を副総代として推挙した。

皆で造林地を「臼田町字一之久保外七字地籍」に選び、造林の計画を立て、既に明治二十三年(1890年)には同盟者は二百十五名に増えた。

 

****

造林記念碑 (解読のポイント)(1)

・部分林

分収造林のこと。土地所有者(本稿の場合は、国を指す。)と造林者及び費用負担者(本稿の場合、旧佐久市臼田の有志者たちを指す。)が共同で林業経営を行い、長年にわたる成果として、山林を伐採した場合の収益をあらかじめ一定割合によって決めて造林を行うこと。

 

・木内政太郎(正文・陶堂)

旧南佐久教員養成所主任講師。旧南佐久高等小学校訓導(教諭)。かつての南佐久教員養成所は佐久市臼田の弥勒寺入口に所在し、昭和三十二年十一月には木内先生の頌徳碑が建てられている。

・有志者

志を同じくする者

****

臼田町の有志者の仲間がつどい、森林整備に係る組織をつくり、総代などの役員を決めました。有志者が215人に増えたあと、この場所の森林整備はどうなったのでしょうか。

続きはこのブログに連載したいと思います。

1 2 3

このブログのトップへ

このブログや記事に関するお問い合わせ窓口

佐久地域振興局 総務管理課
TEL:0267-63-3131
FAX:0267-63-3105