2018.10.30 [ 佐久のイベント ]
東信州中山道ウォーキングに参加しました
こんにちは。商工観光課です。
里の紅葉が見ごろを迎えていますが、スポーツと勉学の秋を兼ねて、10月27日(土)に東信州中山道連絡協議会が主催する「東信州中山道ウォーキング」に参加しました。
中山道はご存知のとおり、江戸時代の五街道の一つで、江戸・日本橋と京都・三条大橋を繋ぐ街道の一つですが、今回歩くのは東信州の佐久市望月・百沢集落から瓜生坂を越えて望月宿までの約4キロのコースです。
先ずは佐久市役所望月支所前に集合。今回は21名の方が参加されました。
案内をしてくださる「佐久歴史の道 案内人の会」の皆さま、どうぞよろしくお願いします。
出発式を終えて百沢集落へ移動。準備体操後、2班に分かれてのウォーキングスタートです。
百沢集落は宿場ではありませんが、かつては天領だったこの地域、街道沿いには趣のある建物が何軒も残っています。
集落の中程にある「百沢祝言道祖神」
京都貴族の衣装を纏う珍しい道祖神だそうです。
百沢集落を抜けると、開けた景色が。
川の上を水平に走っているのが、かつて浅科地域の米栽培のために引かれた五郎兵衛用水だそうです。地域のブランド米もこの用水のおかげでできたんですね。
ところで、こちらの石標には「中仙道」、看板には「中山道」と表記されているんですが、この違いをご存知ですか?
かつては「中仙道」と表記されていたそうですが江戸時代に幕府により「中山道」の表記に統一されたんだそうです。
険しい坂道を登り切ると瓜生坂一里塚。この付近は別名「瓜生峠」とも呼ばれていたそうです。
百沢集落側よりも望月宿側の方が険しい坂道。かつて籠を担いだ方の苦労を偲びながら、皆さん恐る恐る古道を下ります。
瓜生坂下には長坂の石仏群が。馬頭観音や道祖神などの石仏が並んでいました。
坂を下りきると鹿曲川に架かる橋に出ました。かつては大水が出ると橋が流されてしまうこともあり、時代によって川を渡る場所や取り付けの道が異なっていたそうです。
この橋の上流には川の断崖に弁財天が祭られる蟠龍窟がありました。今回は時間の関係で遠景からご説明していただきましたが、1500年代初めに信永院開山道厳禅師が、琵琶湖の竹島から勧請したと伝えられているそうです。
その後、中山道25番の宿場町として栄えた望月宿へ。当時、旅籠が軒を連ねていた街道には、今でも数軒の宿が残っています。
かつての本陣は残念ながら取り壊されてしまっていますが、望月歴史民俗資料館が建てられ、中山道や望月宿に関わる古文書や絵図をはじめ、郷土の歴史がわかる資料が展示されているそうです。
望月宿を抜けて、今日の最後の見学場所大伴神社に到着。急な階段を上り本殿へ。毎年8月15日に境内で4基の神輿が激しくぶつかり合う「榊祭り」は信州の奇祭としても知られています。
その後、佐久市役所望月支所に戻り、本日のウォーキングは終了。
朝10時頃から正午までの約2時間。歴史を感じ、学びながらゆっくりと散策することができました。
ちなみに、この望月宿周辺では、宿場が栄えていたころから栽培されている「雁喰豆(がんくいまめ)」で作る雁喰味噌を使った「駒月みそかつ丼」がご当地グルメ。9つの店舗で味わうことができます。
食欲の秋も楽しめる望月宿、皆様もどうぞお出かけください。
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