「旬」の宅配便~佐久っと通信~ いつでも新鮮! 職員が見つけた佐久地域の「旬」の魅力をお届けします。 どうぞ、さくっと見てください。

「旬」の宅配便~佐久っと通信~

いつでも新鮮! 職員が見つけた佐久地域の「旬」の魅力をお届けします。 どうぞ、さくっと見てください。

目標は諦めなければ実現する。

 こんにちは。商工観光課のケッシーナです。
 佐久地域で飲食店や結婚式場を経営する有限会社ジャンリッツの代表取締役である笹沢幸司さんにお話をお聞きする機会がありました。本日はその際に伺った「生き方・考え方」についてご紹介したいと思います。

Brand's Can 看板
この看板が目印です。

RESTAURANT CAFE Brand's Can 外観
ブランカン(レストラン)外観

―こんにちは。本日はよろしくお願いします。最初に創業から現在までの沿革を教えてください。

 私のルーツは祖母と母にあります。祖父と父はサラリーマンでしたが、戦後、祖母が屋台のおでん屋から始めて佐久で食堂を営んでいました。母も食堂を手伝っていましたので土日にどこかに連れて行ってもらえることは無く、他の人が休んでいる時に働き、他の人が働いている時に休むという真逆の環境でした。そういった影響もあり、人と同じでないことに抵抗はありませんでしたし、職業選択というよりも料理人になるものだと思っていましたので、中学3年の夏休みに日帰りで大阪の専門学校へ学校見学に行きました。少しでも早く独立した方が良いと思っていましたので、中学卒業後すぐに進学しようと考えていたのですが、今まで「勉強しなさい」と一度も言ったことがない母からの勧めもあり、高校卒業後に専門学校へ進学しました。入学まもなくお菓子に興味が湧き、フランス校に行ってお菓子を学びたかったため、料理部門からお菓子部門に編入しました。そして、授業の後に1日6時間勉強をして、厳しい倍率を勝ち抜いて1年間留学をすることができました。卒業後は地元に戻り、お店をやるならお菓子以外にもビーフシチューやハンバーグ等の洋食も学ぶ必要があると考え、まず地元の洋食屋さんで仕事をしました。次にサービスを学ぶため東京、長野のホテルに勤め、その後、軽井沢のレストランでパティシエをやり、24歳の時に佐久でレストランをオープンしました。

―高い倍率を勝ち抜いてフランス留学をしたり、レストランから結婚式場まで経営をされたりと成功を収められていますが、料理人が天職だと思いますか。

 社員にも聞かれることがありますが、「今の仕事は天職かですか」と聞かれても分かりません。現在、世の中には仕事が約4万種あるそうです。20歳から60歳まで働くと仮定して全職種を経験しようとすると、1日2.5種経験しないと全部の職種を体験できません。そのため、全部体験するのは現実的に無理ですので、今の仕事が天職かどうか考えるのではなく、今の仕事、目の前にあることを一生懸命やった方が楽しいと思います。

秋の新作01
秋の新作 モンブラン
 

秋の新作02
秋の新作 ティラミス
 

―フランス校に留学するために学校から帰って来た後で毎日6時間勉強をしたり、フランスでは朝6時から夜11時まで働いて休日は図書館の本を写したりしていたとのことですが、3日坊主という言葉もあるようにやらなければと思っていることがあっても、続けられない人が多いと思うのですが、続けることができた秘訣を教えてください。

 自分の都合で考えないことです。自分が存在するだけで何かしら誰かや社会に影響を与えているものです。それならばその責任を感じ、誰かや社会のために何かしようと考えないといけないと思います。
 例えば嫌なことがあって会社を辞めたくなることもあるかもしれません。でも、そこで自分の都合だけで考えるのではなく、時間を割いて仕事を教えてくれた上司や支えてくれた同僚に恩返しするまでは頑張ると思って働くんです。そうやって続けていくと、振り返ってみた時に長い間続けられていたということになります。
 私の場合は、家族に支えられたことでこれを学びました。フランス校への試験勉強の際に、厚さ1センチ程度の辞書ですが、全ての料理用語のつづりと読み方と意味を毎日1回書いてから夕飯を食べるという生活を自分に課しました。学校から帰ってきて4時頃から始めるのですが、最初は終わるのが11時頃までかかりました。必死で書いて6時間かかるんです。ボールペン1本が大体3日で終わります。フランスでは、朝6時に起きて、夜11時に帰ってくる生活をしながら、食べた料理のレシピを毎日記録していました。休日は本を買うお金がなかったため、図書館でレシピを写していました。ここまでがんばることができたのは、当時、私だけでなく私の留学の為に家族も大変だったと思うのですが、ある時の実家からの仕送りの中に妹が「3千円」と「お兄ちゃんがんばって」という手紙を入れてくれたことがありました。この時は涙が出ました。これだけ周りの人支えられているのだから、遊んで帰ったら人間としてダメだと思い、がんばることができました。今は社員の頑張りとそれに対する責任の気持ちが私の支えです。

―経営者は大変なことが多いと思うのですが、社長は落ち込むタイプですか、落ち込まないタイプですか。また、落ち込んだ場合の回復の方法を教えてください。

 私はものすごく落ち込むタイプです。でも落ち込んだ後、この状況を打破するためには「じゃあ、どうしようか」と考えます。何か困ったことがあった時に私が部屋の隅で膝を抱えて泣いていれば状況が好転するのであればそれでも良いのですが、そんなことはありえません。その問題を諦めてしまったらそこまでです。諦めないのであれば、考えて、一歩踏み出します。悩んでいても何も変わりませんが、考えて行動したら何かが動き始めます。例えば、奥さんに感謝の気持ちを持っていても「ありがとう」と言ったり、掃除を手伝う等の態度で表したりしないと伝わらないですよね。
 あとは明確な目標があれば、それは悩む必要があるかないかということが判断できます。職場でもプライベートでもどんな場面でも嫌な人に出会うことはありますよね。それで悩む人も多いと思うのですが、そこで悩むと自分の世界がその人中心になってしまいます。よく職場の人間関係が嫌だから辞めるという人がいますが、それは違うと思います。目標があって入社したのに、目標とまったく関係のないことで諦めるのはおかしいです。人間関係が良くないというのは目標に向かう途中で付帯して出てきた問題なんです。自分の親や子供が具合悪いというのは自分に直接かかわる問題なので本当に考えないといけません。でも自分の目的と違うところで身を引かないといけないというのは問題の軸が違うんです。今自分が悩んでいることは本当に考えなければいけないことなのか、本当に考える必要があることならばどう処理するべきかと考える必要があると思います。ではそれはどうやったらできるんですかと言われれば、自分の夢を諦めないことだと思います。途中で諦めてしまうのは本気ではないんです。目標を達成した時のイメージができていないんです。つまり、諦めなければほとんどのことは実現できます。「出来なかった」と言っていることの多くは、正確には「諦めてしまったこと」ということがほとんどです。
 苦労は若いうちにしろと言われますが、あれは本当だと思います。私は幸せの総量というのは決まっていると思うんです。ただ、幸せも貯金と一緒で利息がつくんです。だから、苦労を後回しにしている人は貯金と一緒で金利が付いているから若いうちに苦労した人より金利分だけ多く苦労している気がします。だから一番危ないのは「将来の夢があるんだよね」と言いながら、今を適当に生きている人です。私は「将来自分のお店を開きたい」という人がいれば、まずは不動産屋に行って来なさいと言います。実際に足を運んで不動産の相場がいくらということを知れば、今貯金をいくらしなければいけないとイメージができるからです。

―目標の設定方法に秘訣はあるのでしょうか。
1 2 3

このブログのトップへ