2013.02.14 [■I ♥信州(あいラブしんしゅう)]
<VOL.217>I♥信州(あいラブしんしゅう)
“移住で深まる家族の絆”(1)
開田高原で過ごす“上天気”な暮らし
「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。
第8回目のI♥信州は、1993年に愛知県名古屋市より木曽町開田高原に移住された、寺本勝司さん・京子さんご夫妻にお話をお聞きしました。
寺本さんご夫妻は、県歌「信濃の国」でも歌われている長野県を代表する山のひとつ、御嶽山(おんたけさん)の山麓に広がる開田高原で、ロッジ「上天気」の経営をされています。
取材当日は前日と打って変わって冬晴れの晴天。まさに寺本さんのロッジ名のような「上天気」。
明るい光が差し込むロッジの中で、寺本さんご夫妻が信州へ移住するまでの経緯などをお話しいただきました。
*木曽御岳山
(木曽福島から開田高原へと向かう国道361号線を西に向かうと、大きな裾野を広げ威風堂々とした独立峰の木曽御岳山が目の前に現れます。)
■学生時代からの山岳好きが高じて開田高原へ
寺本勝司さんは愛知県名古屋市のご出身。
学生時代は山岳部に所属し、山岳部のリーダーとして、日本全国の山岳登山に熱中していました。
長野県は名古屋市から近いこともあり、北、中央、南の日本アルプス全域にも数多く訪れ、年間でも約40~50回ほど登山をしていました。
奥様の京子さんは、高校の社会科教師として7年間教壇に立ち、また部活動ではバレー部の顧問として生徒一人ひとりの教育に務めていました。
勝司さんは大学卒業後、IT関連企業に勤め、仕事で忙しく毎日を過ごしていましたが、26、7歳の頃、学生時代より親しくしていたアウトドアショップの店長と開田高原に訪れたことが、信州への移住という新しい世界に踏み出す一歩となりました。
訪れた開田高原の山小屋の宿で見た、宿のスタッフの方とお客様の親しげな様子や、幸せそうな表情を目の当たりにして、自分も誰かの笑顔が身近で見ることができる仕事がしたいと考えるようになり、自分も宿泊業(山小屋)の起業を真剣に考えるようになりました。
その後、勤めていた会社を退職し、起業の準備のため大学時代の先輩が開いていた塾で講師をしながら、1~2週間ごとに山小屋へ通う日々が始まりました。
山小屋を始めるのであれば料理は不可欠と考え、修行もかねてスペイン料理のお店で料理の腕を磨くなどオープンに向けて準備を進める毎日・・・。
そして1993年5月22日、念願のロッジ「上天気」を開田高原にオープンしました。
今では全国各地よりたくさんのお客様が訪れ、今年の5月でオープンから満20年目を迎えました。
満20年目を迎えるロッジ上天気。たくさんのお客様に愛されています。
勝司さん:「開田高原は、当時知る人ぞ知るという穴場的なスポットで、リピーターの方が多い土地。白馬や八ヶ岳のように昔から名の知れた土地ではなかったので、訪れた人は『ここは自分が見つけた場所なんだ』という感覚になれる場所です。
また、そういう場所の方が新規参入もしやすいかな、と考えました。
元々山は好きでしたが、御嶽山が名古屋の方からと長野の方からでは見え方が違うのも新鮮でしたね。お客様が目の前にいて、そのお客様が喜んでくれているのをみると、こちらも嬉しくなります。
お客様の喜んでいる姿を見ることが出来るこの仕事は、自分には向いているかなと思います。」
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