2014.07.05 [ 自然・山・花 ]
清水掬うように【井月さんのこころ68】
井月さんのこころ シリーズ その68
夏の風物詩である「辰野ほたる祭り」が終わって、今年のピークは6月15日(日)の6,445匹であったようです。昨年のピーク4,384匹は上回ったものの、一昨年6月20日の11,168匹には及ばなかったとのことです。
町のお誘いをうけて、ほたる祭がスタートする前日の13日(金)に松尾峡を訪ねたときは、2,479匹が発生したとされていますが、少し肌寒く、おまけに満月が煌々と輝いている夜であったためか、飛んでいる蛍は少なめでした。それから毎日、月の出は48分ずつ遅くなり、ほたる祭期間中は、月の光に邪魔されることなく多くの蛍が飛んでいたようです。
戦後間もない昭和23年から続いて今年第66回を数える「辰野ほたる祭り」は、先人の努力によって今日まで受け継がれてきています。
ホタル保護の歴史(辰野町観光サイト)
蛍火や一期一会に曳く余韻 青巒
さて、空中を飛び回っている蛍は、オスですか、メスですか?
答えは、遡回その14「ほたる飛び交う頃」をご覧ください。
28日(土) 「第56回 長衛祭」 の碑前祭に参加させていただきました。
夏山シーズンの幕開けのこの時期に、南アルプス北部の開拓に尽力した 竹沢長衛(たけざわちょうえい・1889~1958年)翁の遺徳を偲び、登山の安全祈願をし、記念登山や森の音楽会などの催しが毎年行われているもので、今年は、6月28、29日に、県境の北沢峠(2032メートル)周辺で、伊那市や山梨県南アルプス市、山岳団体などでつくる実行委員会が主催し、碑前祭、交流会や駒ケ岳(2967メートル)への記念登山などが行われました。
28日午後0時半から、小雨模様の中、北沢峠の山梨県側にある長衛小屋入口の長衛翁の碑の前で、関係者と登山者合わせて約300人が参列し、献花を行って山の安全を祈願しました。
昭和33年3月に長衛翁が亡くなられ、その年の秋に除幕されたこのレリーフは、昭和を代表する彫刻家の一人で日展審査員であった辰野町出身の「瀬戸団治 (1905-1991)」作です。
大会長である白鳥伊那市長は、「長衛翁は登山道を開拓して山小屋を建設し、南アを多くの人に親しめる山にした。国立公園指定50周年、ユネスコエコパーク登録、日本ジオパーク全国大会を契機に、長衛翁の業績を受け継いで豊かな自然を後世に継承していく」と祭文を読み上げられました。
碑前祭の前後に南アカルテットの弦楽四重奏の演奏、伊那市長谷小学校6年生と南アルプス市芦安小学校5・6年生による「ふるさと」の合同合唱などがあり、交流会では、山を愛する人たちが親ぼくを深め合いました。
交流会では、第56回を数える長衛祭に初回から関わってこられた「大会名誉顧問」で「長野県山岳協会顧問」の唐木勉氏(88歳)から「信州山の日」に纏わるお話しを直接お聞かせいただきました。
7月27日は、大正14年、長衛翁の働きで当時の長野県知事一行が南アルプス縦走から生還した記念すべき日であるということで、「伊那山の会」初代会長でもある唐木勉氏が「信州山の日」の候補日に提案した日だとのことです。
奇しくも「7月第4日曜日」に決まった初回となる本年の「信州山の日」は、7月27日になります。
この長野県知事一行遭難の逸話は、長衛祭のリーフレットや後述の写真展に次のように掲載されていました。
「南アルプス国立公園指定50周年記念写真展」のテントでは、山岳写真家 津野祐次氏の写真を中心に長衛翁の略歴などが紹介されていました。他のテントでは、携帯トイレやストックキャップの普及もPRしていました。
これは、伊那市の「南アルプス50周年を契機に持続的な保護・活用を進める事業」の一環で、長野県の「地域発元気づくり支援金」を活用していただいています。
28日は、碑前祭に引き続いて「大平山荘」で、南アルプス国立公園指定50周年とこの度のユネスコエコパーク登録を記念して、長野・山梨・静岡3県に跨る『10市町村懇話会』が開催され、南アルプスの今後のあり方について熱心な意見交換が行われたとのことです。
ちなみに翌日29日の記念登山は、例年、仙丈ケ岳と駒ケ岳を交互に登っており、今年は駒ケ岳。その皆さんの宿泊先は、昨年6月の建替えを機に「北沢駒仙小屋」から改称した山梨県側の「長衛小屋」又は伊那市側で「長衛荘」から改称した「北沢峠こもれび山荘」のいずれかということで、定員100人で計画されていましたが、残念ながら未明の雨で中止になったということです。
このブログへの取材依頼や情報提供、ご意見・ご要望はこちら
上伊那地域振興局 総務管理課
TEL:0265-76-6800
FAX:0265-76-6804