2013.09.23 [ 自然・山・花 ]
仲秋に月眺める頃【井月さんのこころ27】
この句碑の隣には、井月さんを慕って墓参りに訪れた山頭火さんの「なるほど信濃の月が出てゐる」の句碑が建っています。更にその隣に此処「山梨」の地名の由来を記した碑が建っています。
高遠藩家老 葛上紀流の著『木の下蔭』に「山なくいかにも月を賞翫すべき地なり」とあり、美篶笠原のこの土地を「月見里」と書いて「やまなし」と呼んだことが記されているのだそうです。
なるほど東南の方角が広く開け、遥かに仙丈ケ岳を望む月見に適した土地ですね。
写真: 月見里(やまなし)
俤や姥ひとり泣月の友 芭蕉
(おもかげやうばひとりなくつきのとも)
信濃・姨捨山の月見がしたくなって美濃から強行軍でたどり着いた果てに待っていた月。芭蕉翁45歳の秋のことです。
そして、翌・元禄二年、「三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ 心にかかりて、住める方(かた)は人に譲り・・・・・」と、「奥の細道」に旅立ちました。
奥の細道で、女性的な景色の極みである「象潟」では、そぼ降る雨に濡れる合歓の花に傾国の美女「西施」の愁いに沈む姿を重ねて句を詠んでいる芭蕉翁(遡回その19)ですが、男性的な景色の極みである「松島」で、それも、月見がこの旅の目的でもあったはずの「松島」では、いかなる句も残してはいませんね。ただ、同行の曾良の句が記載されているのみです。その景色は絶賛していますね、以下のとおり。
仰(そもそも)ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡(およそ)洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮(うしお)をたゝふ。島々の数を尽して、欹(そばた)つものは天を指(ゆびさし)、ふすものは波に匍匐(はらばう)。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。
(中略)
江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寐するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。
松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。 ・・・(後略)
(奥の細道 元禄2年5月「松島」から)
仲秋の名月の翌9月20日(金)は、秋の彼岸入り。
「盆々と騒げどお盆はただ3日、要らぬに彼岸は7日ある。」と、よく祖母から聞かされました。
月日の経つのは早いもの、祖母の27回忌は昨年でした。
秋のお彼岸がくると、お萩を仏壇に供えます。種類は餡子に黄な粉に黒胡麻。
写真:お萩
2020年オリンピックの東京招致が決まりましたね。
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