い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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上伊那にも古代人が!?~東伊那遺跡~

こんにちは。魅力発掘探検隊のJKです。
今回は、駒ヶ根市にある「東伊那遺跡」を紹介します。

日本列島には1万年以上も前の旧石器時代から人々が住んでいたと言われていますが、この上伊那地域からも数多くの遺跡が発掘されています。
駒ヶ根市の天竜川左岸(東伊那地区)にも、縄文時代から平安時代にかけての遺跡が点在しており、山田遺跡、丸山遺跡、狐久保遺跡、殿村遺跡の4つの遺跡を総称して「東伊那遺跡」と呼ばれています。

今回の取材では、このうちの「狐久保遺跡」へ行って来ました。

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この遺跡は、駒ヶ根市立東中学校の敷地の北側にあり、天竜川の段丘上の高台に位置します。遺跡の一画は駒ヶ根市の史跡に指定され、竪穴式住居が復元されています。

「竪穴式住居」というと、歴史の授業で習ったことが思い出される人も多いのではないでしょうか。
中を見てみると、外観以上に広々としています。

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「東伊那遺跡」は、昭和24年(1949年)から昭和26年(1951年)にかけて、旧伊那村が巨費を投じて学術調査を行ったものでした。当時としては、画期的な規模で、多くの団体、学校や教育関係者が発掘に当たったようです。
連日の調査の結果、4つの遺跡において、縄文時代から平安時代にかけての竪穴式住居址が発掘されました。この地域で、古代から人々が暮らしていたことがわかったのです。

「狐久保遺跡」においては、当時の調査では弥生時代後期に属する4軒の住居址が発掘されました。その後、昭和38年(1963年)に遺跡の一画に東中学校が建設された時、さらに10か所ほどの住居址が発見され、集落を形成していたと考えられるようになりました。

遺跡の周りを見てみると、住宅や学校、田畑が広がっていますが、何千年も前から人々が生活していたのだと考えると、昔から上伊那は暮らしやすい土地だったのでしょう。

皆さんも、遺跡を訪ねて古代へのロマンを感じてみてはいかがでしょうか。

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