2013.02.13 [ 歴史・祭・暮らし ]
戦国時代の伝説 飯島町『千人塚』
魅力発掘探検隊のyamaです。
飯島町に「千人塚公園」という池や桜、オートキャンプ場やマレットゴルフ場があり、地元の憩いの場所になっている公園があります。
千人塚という名前のいわれになっている伝説の碑があると聞き、早速、訪ねてきました。
うっそうと生い茂った杉の木々の中に、柵に囲まれた碑がひっそりとありました。
千人塚の由来が書かれた看板がありました。
看板によると、
「今から800年前程前、船山城主の家臣の上沼氏が同地に城を構え北村城(北山城)といった。戦国時代、天正10年(1582年)2月に織田信忠(織田信長の嫡男)軍による武田軍への伊那路攻略の際、この城は落ち、戦死者や武具一切を埋めて塚とした。
その後、江戸時代にかけて時々疫病が流行し、戦死者の霊がもたらす災いとのお告げがあったため、慰霊のための碑を塚に建て、供養を続けている。」
とのことで、このことから戦地として多くの死者が出て、その霊を供養するためにつくられた塚として、「千人塚」と呼ばれるようになったそうです。
今のひっそりとした状況からは想像もつきませんが、戦国時代にこの地で残忍な戦いがあったのかと思うと身も凍る感じがしました。
石碑です。
よく分かりませんでしたが、碑には「千九人童子」の文字が刻まれているそうです。
大勢という意味での「千九人」という説があり
公園内には灌漑用水としての城ヶ池があり、釣りやボートで遊ぶことができます(有料)。
目の前にそびえる中央アルプスの雪景色とのコントラストがとても美しいです。
マレットゴルフ場もあり、「マレットゴルフコース 発祥の地」と刻まれた石碑が建っていました。
マレットゴルフ協会のHPによると、マレットゴルフは昭和52年に福井県で考案され、昭和56年以降、長野県体育センターの講習会を契機に普及したものだそうです。
千人塚のマレットゴルフ場は本格的なマレットコースとして、全国に先駆けて整備されたものとしてコース発祥の地としているようです。
老若男女が手軽に楽しめるスポーツとして、長野県の各地に数多くのコースが整備されています。
戦国の世から400年余を経て、当時の面影を見ることはできませんが、「千人塚」と呼ばれるいわれを多くの人に知ってもらい、後世まで地域に愛される公園であってほしいと感じました。
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