い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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おお盛信、どうしてあなたは信盛なの?

こんにちは。魅力発掘探検隊の中年Mです。

先日、このブログで「高遠の戦国絵巻 ~仁科五郎盛信と五郎山~」を紹介したところ、旅人Mさんが、記事を読んで私のところへやって来て言いました。
「中年Mさん、『信濃の国』は『モリノブ』ではなくて『ノブモリ』ですよ。」
「えっ? でも、仁科五郎は『モリノブ』ですよ…ね?」
「でも、信濃の国の5番は『ノブモリ』なんですよ、フッフッフ」

慌てて「信濃の国」の歌詞を確認すると、確かに「仁科の五郎信盛(ノブモリ)」となっています。
  

しかし、私は先日のブログでは「♪ 仁科の五郎盛信(モリノブ)も~ ♪」と書いてしまいました。

Oh Noーーッ!

間違ったことをブログに書いてしまった・・・。
しかし、なぜ名前が違うのか?? これはいったいどういうことだ??
私は急いで伊那市立図書館へ走ったのでした。


関連図書を探して調べてみますと、仁科五郎 “盛信または信盛” の名前は、正確なところははっきりしないようです。
これは“仁科五郎”が、武田信玄の五男として甲斐に生まれ、後に信州安曇地方の仁科氏を継いだことと関係して、武田氏と仁科氏で残された史料の記載に違いがあるためのようです。
  
      盛信? 信盛?

見つけた図書のうち「花の若武者・仁科五郎盛信」(春日太郎著、発行:伊那毎日新聞社)によりますと、
「郷土にある古い史料には殆んど『信盛』となっている。武田の通字は『信玄・信繁』と信の字が上につく。仁科の通字は「盛遠・盛政」と盛の字が上につく。仁科の郷の史料には、『仁科神明宮の棟札」を始め皆『盛信』となっている。信盛が間違いとは思わないが、仁科の名跡を継いだのだから、『盛信』が史実に合っていると思う。」 とのこと。

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