2013.05.09 [ 歴史・祭・暮らし ]
上伊那の戦国絵巻 ~春日城跡~
こんにちは。
魅力発掘探検隊(歴史・祭・暮らしグループ)の中年Mです。
今回は、伊那市の「春日城跡」のご紹介です。
「春日城」は、伊那合同庁舎からもほど近い、伊那市の市街地を見下ろす高台にありました。
現在は、5月7日の記事でも紹介されている「春日公園」として、大型ローラーすべり台等の遊具も整備され、休日には親子連れなどで賑わうお出かけスポットになっていますが、橋が架けられている堀の跡が、当時の城の様子を想い起こさせてくれます。
この地に春日城があったのは、戦国時代の50年程の間だけだったようですが、そこには激動の歴史の流れがありました。
天文のはじめ(1530年代)、平家の末流の伊那部大和守重慶によって「春日城」は築城されました。(織田信長が生まれた頃のことです。)
「春日城の沿革」の碑によりますと「始め3百貫文を領して10騎の将であった」とあるように規模は小さかったようですが、伊那の地で次第に大きくなっていったようです。
そして、武田信玄の登場です。
武田信玄が信州へ攻略を開始すると、上伊那では8人の地侍がこの地を守ろうと頑強に抵抗し、怒った信玄は、弘治2年(1556年)、この8人を捕らえ磔(はりつけ)にしてしまいます。
上伊那のために立ち上がったこの8人の中に、春日城主も名を連ねていたようです。
さらに時は流れて、織田信長の登場です。
天正10年(1582年)、衰退した武田氏を討伐するために織田信忠(信長の長男)が大軍を率いて伊那谷へ進撃して来ました。
この時に春日城は兵火にかかり炎上してしまいます。
しかし、時の城主・春日河内守昌吉は屈することなく、部下を引きつれ高遠城に入り、「仁科五郎盛信」と共に織田軍と最期まで戦い、運命を共にすることになりました。
以降、春日城は再興の主がなく廃城となってしまいましたが、大勢力に屈することなく戦い抜いた武将が、上伊那の地にもいたことにロマンを感じてしまうのは私だけでしょうか。
(おまけ)
時は流れて現代。
春日公園は、高遠城跡公園と並び桜の名所として知られています。
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