2017.03.21 [ 歴史・祭・暮らし ]
~太鼓櫓の守役~
江戸時代、一般の人達は時計を持っていませんでした。
それでは、どのようにして時間を知っていたのでしょうか?
時代劇のシーンからお寺の鐘を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、
高遠城下(現伊那市)では太鼓によって時を知らせていました。
上の写真は高遠城内にある太鼓櫓です。
楼上に3つの太鼓を備え、
時刻がくると
予備の刻み打ちを繰り返した後、
時の数だけ太鼓を打っていたそうです。
時を告げる太鼓は昭和18年まで続きました。
『高遠町誌』には
太鼓櫓の守役だった重盛四郎治氏の話が載っています。
『彼は明治10年代から太鼓櫓の番人を引き受け、
朝6時から夜の8時まで
いっとき(2時間)ごとに太鼓を打って時を知らせた。
大正6年、70歳で亡くなるまで
雨の日も風の日も1日も休まず
2時間おきに打ち続けた』
(高遠町誌より要約)
重盛氏のような実直な人達が
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