い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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ほととぎす鳴く頃【井月さんのこころ61】

 県宝小野宿問屋の公開、小野酒造店蔵開き&「夜明け前」新酒試飲会、ワンコイン飲み食べ歩きなど盛りだくさんの企画で辰野町小野の旧中仙道(伊那街道)の宿場周辺が賑わいます。
 「夜明け前」のお話は、遡回その40と41の記事にも登場しました。
  冬至の頃【井月さんのこころ40】
  餅搗く頃【井月さんのこころ41】

 昨年の小野宿市の様子は、こちらの記事でも紹介されました。
  小野宿市 ~小野の街道筋に古の賑わいを再現~

 さて、この「初期中仙道」についてですが、
 徳川家康が「ホトトギスが鳴くまで辛抱強く待って」ようやくにして手に入れた天下を治めるために力を注いだ「江戸」の街普請には、木曽谷の木材の調達が欠かせませんでした。
 街道整備で慶長9年(1604年)中仙道67次が開設されました。これを取り仕切ったのは「大久保長安」。家康がその経理の才能を見込んで重用した大久保長安は、甲府金山、石見銀山、佐渡金山などの奉行職を兼務し、江戸初期に絶大な権勢を振るった男でした。
 東海道53次、中山道69次と当たり前に教科書に載っている宿場の数も、初期の中仙道は2つ少なかったのです。
 初期中仙道のルートは、下諏訪宿を出て東掘(現在の岡谷市東掘)から平野村を抜け三沢峠(小野峠)を越えて小野宿を経て、牛首峠を越えて桜沢を下り、奈良井川水系である贄川宿、奈良井宿、鳥居峠を越えて木曽川水系を南へ下るものであったのです。
 岡谷から小野までの間は、現在の県道楢川岡谷線より南側の枝垂れ栗森林公園の谷(楡沢)を通るルートでした。小野から日出塩までは現在の県道楢川岡谷線と重なるルートです。

 さて、大久保石見守長安が慶長18年(1613年)に69歳で亡くなると大久保家は改易となり、粛清が行なわれて長安の7人いた男子は全て処刑されてしまいました。
 中仙道も翌1614年に塩尻峠を越えて塩尻宿、洗馬宿、本山宿経由で贄川宿(関所)へ至るルートに付け替えられることになり、 宿場が2つ増えることになったのであります。
 それ以降、小野宿は伊那街道(三州街道)の宿駅となり幕末「夜明け前」まで伝馬で栄えることになりました。
 そんな歴史を秘めた『小野宿市』へ是非おでかけください。 
 10月第一日曜日には「初期中仙道ウォーキング」も例年行なわれています。

 5月11日(日)上伊那北部消防連絡協議会の水防訓練が箕輪町で開催されました。
 伊那建設事務所の職員の皆さんを講師に箕輪町、辰野町、南箕輪村の消防団幹部の皆さんがロープワークや土嚢積みなどの訓練を行いました。
 

 水防訓練が行われている会場の横の天竜川で流れの中に佇む「鷺」を撮ることができました。
 これもアオサギのようです。


  
  下手な句にちょっと笑える夏はじめ  青巒

 新緑がまぶしい季節、卯の花のほかにも様々な白い花があちらこちらに咲いています。

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