2016.03.12 [ 歴史・祭・暮らし ]
春雨に鯉はねる頃 【井月さんのこころ157】
旧本殿の拝殿を移築した奥の院は、文化十一年(1814年)立川流二代目和四郎富昌33歳の作であるとのこと。 信州諏訪発で全国の寺社仏閣を造った立川流の代表作のひとつです。虹梁の昇降龍や木鼻の獅子・獏などの彫刻は、実に見事なものです。奥の院前に建つ景雲門も旧奥の院拝殿を移築したもので富昌作のすばらしい彫刻が残されています。
古くから「塩の道」でもあった秋葉街道によって繋がっていた信州と三河・遠州地域とは、こうした立川流の神社仏閣などにも見られるとおり、文化的な交流も盛んでありました。
近い将来、三遠南信自動車道が全線開通すれば、秋葉街道の起点である遠州秋葉神社はもちろんのこと、豊川稲荷、砥鹿神社、鳳来寺なども含め、こうした愛知県東三河地域や静岡県遠州地域との観光面・文化面の繋がりも復活するものと期待されるところです。
豊川稲荷の池には、これまた見事な錦鯉が群れ泳いでいました。
井月さんが詠んでいます。
鯉はねて眼の覚めにけり春の雨 井月
この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
庭に豊かな川の流れを引き入れた大きな池。大きな鯉が悠々と泳いでいて、がばっと跳ねた。その音でうたた寝から覚めた井月。外を見ると音もなく春雨が降っている。家なしの井月は今日はどこか大きな家の一室で悠々昼寝。
世捨て人井月、文筆のみで、世間の人のような仕事はしない。一切の束縛から離れた自由人としての静かな境涯である。
(春雨・春)
7日(月)には、本年度3回目の森林づくり上伊那地域会議を伊那合同庁舎で開催させていただきました。長野県森林づくり県民税活用事業の今年度の実績見込みと来年度の概要、来年度の木育推進事業の要望、1月開催の県民会議を受けた今後の進め方について、事務局から説明させていただき、座長の武田孝志信州大学農学部教授を中心にして9名の委員さん方に意見交換を行なっていただきました。
2月12日開催のリニア中央新幹線整備を地域振興に活かす伊那谷自治体会議において成案となったリニアバレー構想が公開されました。
リニアバレー構想
7日(月)午後、駒ヶ根市の高鳥谷(たかずや)神社を拝観させていただきました。高鳥谷神社本殿は、駒ヶ根市の有形文化財に指定されており、駒ヶ根市東伊那の旧五か村(火山(ひやま)・塩田・大久保・栗林・伊那)の産土神(うぶすながみ)とのことです。以下、駒ヶ根市HPから。
文明年間に創立され、正徳2年(1712)の造営を経て、現社殿は文政12年(1829)に造営されました。棟札には「大工京都中井主水門人諏訪高島住人立川内匠富昌」と記してあり、2代立川和四郎の作であることが明らかです。社殿は覆屋(おおいや)の中に建ち、杮葺き(こけらぶき)、一間社隅木入春日造軒唐破風付で、各所に大きな彫刻が施されています。特に向拝正面虹梁(こうりょう)の位置にある竜、左右袖障子の中国の人物像が力作です。彩色は無く、すべてケヤキ材の白木造です。
高鳥谷神社(たかずやじんじゃ)
高鳥谷神社現社殿が造営された文政12年(1829)は、富昌48歳、井月さん8歳の頃にあたります。
諏訪立川流二代目立川和四郎富昌については、遡回その16にも登場しました。
諏訪大社本宮幣拝殿(国重文)、下社秋宮神楽殿(国重文)、矢彦神社神楽殿(県宝)などを造り、幕府から「内匠(たくみ)」の称号を賜った名工です。今回、駒ヶ根市教育委員会へお願いして、是非とも観たかったのは、虹梁の「龍」と袖障子の「鯉に跨る仙人」の彫刻です。覆屋の中に大切に保存されており、無垢のケヤキ材の彫り跡が見事な「鯉に跨る仙人」。国の重要文化財や県宝に指定されている立川流彫刻作品に比べても、ずっと風雨に晒されておらず、保存状態が良い最高級の文化財です。
立川流の「謙虚な学びのこころ」がここにもひとつありました。
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