い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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文明開化に 【井月さんのこころ108】

  (春日・春)

  井月さんが51歳であった明治五年(1872年)二月に壬申戸籍が施行され、井月さんを郷里の長岡に帰す旅費を捻出するために送別句会が開催された(九月、東伊那「中村家」参加者113名)ことについては、遡回その3に書きましたが、その年の8月2日(旧暦)、太政官布告で「学制」が発布され、近代的な教育制度が確立しました。当時の尋常小学校は下等小学4年間、上等小学4年間の4・4制であり、教科のひとつとして「習字」が入ったとのことです。当時の「学制」はフランスを手本として学区制をとっており、全国を八つの大学区に分けていて、当時の筑摩県は第3大学区(本部:石川県)、長野県は第7大学区(本部:新潟県)に属していたとのことです。

 明治政府は、急速に脱亜入欧の改革を断行します。前年の明治四年(1871年)には、「断髪令」が出されています。当時の世相を表した有名な俗謡があります。 「半髪(はんぱつ)頭を叩いてみれば因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする。総髪頭(そうはつあたま)を叩いてみれば王政復古の音がする。散切頭(ザンギリあたま)を叩いてみれば文明開化の音がする。」

 文明開化について、ウィキペディアによれば次のとおり。

 「文明開化」という言葉は福澤諭吉が『文明論之概略』明治8年(1875年)の中で、civilizationの訳語として使ったのが始まりである。この中では単純に西洋の文化・風俗を模倣したものから、或いはそれら文化や風俗を手本としながら日本の既存文化との融合を図ったもの、更には既存文化を西洋風にアレンジしたものなど多岐に渡り、過渡期的には熱病の如き流行となって様々な社会階層に受け入れられていった。

とありますが、戸籍を持たない井月さんにとっては、次第に住みにくい世の中に………。DSC_1566

 ところで「文明開化」といえば、高橋 宏樹さん作曲による吹奏楽の金管八重奏『文明開化の鐘』が新しい時代の息吹を見事に表現しています。

  雁がねに忘れぬ空や越の浦  井月

  文明開化のパッパパパパパ  朴翆

  新しき息吹や北枝の梅一輪  青巒

 

 花は早く咲いて長く持ってほしいものですね。天候が気になる花祭りシーズン開幕です。

 今週の結びは、愚良子先生のこの句です。

「春日愚良子句集」から

 天気予報少し気にして春ごころ  愚良子

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