い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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読書始めの頃【井月さんのこころ44】

 以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 帙(ちつ)の紐を解いて和綴じ本を取り出す心踊り。さあ新年の読書初めだ。年初に古典の冒頭を朗誦する習わしありと高津才次郎氏。
 『大日本史』は徳川光圀の命により一六五七年着手した歴史書。神武天皇から後小松天皇までを漢文の紀伝体で編述。三九七巻完成は明治三十九年だが、早くから読まれ幕末の尊王史論に影響を与えた。井月若いときの作。
  (明けの春・新年)

 井月さんは第何巻の紐を解いたのでしょうか。

 伊那市立図書館の蔵書検索で調べたところ、徳川光圀編の「大日本史」の本紀(第1巻から第73巻)列傳(第74巻から第243巻)やその後編纂された志(第244巻から第369巻)表(第370巻から第397巻)までが揃っているようでしたので、平賀研也館長さんに写真を撮らせていただけるかご相談しに伺いました。
 活字の「大日本史」は、戦前までに「大日本雄弁会(後の講談社)」が復刻出版したものがあり、伊那市創造館(旧・上伊那図書館)の書庫に保管されているとのことです。
 また、井月さんが読んだであろう「和本(木版)」は、伊那市立高遠町図書館に旧高遠藩校「進徳館」の蔵書であったものが保管されているとの情報をいただき、さっそく見せていただきに伺いました。
 貴重な「進徳館」書籍が整理され保管されているなかにありました。
 漢文ですので、それなりの素養がないと読めませんね。
  写真:大日本史 本紀 第24巻~第26巻 淳和天皇 仁明天皇(上・下)







  写真:伊那市立高遠町図書館 と 「進徳館」書籍(書庫)
  

 高遠町図書館を訪ねた帰りに中村不折(後ほどこの稿に登場します。)の母方の生家「中村家」へ足を延ばしてみました。

 伊那市立図書館の平賀館長さんのお話によれば、この「中村家」には井月さんの時代に作られた貴重な絵入の句集が残されていて、図書館へ寄託されているそうです。
 それは、一人一句づつの頁に、詠んだ人の肖像画が付けられた、まるで「百人一首」のような句集で、高遠の著名な日本画家「池上秀華(池上秀畝の父)」の手になるものだそうです。これまた高遠の文化度の高さを誇る逸品のようですね。

 ここで、井月さんの筆始めの句をひとつ。

   試る筆の力や不尽の山  井月
  (ためさるるふでのちからやふじのやま) 

 
 芭蕉翁にも筆始めの有名な句がありますね。

  大津絵の筆のはじめは何仏  芭蕉
  (おおつえのふでのはじめはなにぼとけ) 

 「三日口を閉ぢて、題ス 正月四日ニ」の前詞あり。
 俳人恒例の歳旦句も詠まず、正月三が日間 口を閉じて、四日に初めてこの句を詠んだようです。時に芭蕉翁48歳、元禄四年(1691年)の正月のこと。
 芭蕉翁の元禄二年は有名な「奥の細道」、元禄三年夏に井月さんを虜にした「幻住庵記(げんじゅうあんのき)」を執筆し、元禄四年はこの頃度々滞在していた大津の義仲寺(ぎちゅうじ)にて新年を迎えています。
 幻住庵記については遡回その3をご覧ください。

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