2015.02.28 [ 歴史・祭・暮らし ]
巣立ちに寄せる想いに 【井月さんのこころ103】
この春、長女が9年、長男が6年の大学生活を終えて、社会に巣立つことになりました。
先月、善光寺へ初詣に行き、大勧進で御礼の護摩木を書いて納めました。
大勧進では、今春の善光寺御開帳が始まるのに合わせ、今日28日(土)から、護摩堂にある不動明王と五色の紐で縁を結ぶ「結縁(けちえん)柱」を境内に初めて建立するとのことです。善光寺の御開帳は4月5日から5月末までで、前立本尊と「善の綱」でつなぐ「回向(えこう)柱」が建てられますが、大勧進の結縁柱は2月28日から、七五三の参拝客で混み合う前の9月28日まで7か月間建てられるとのことです。
参道で、最近有名になった「九九や旬粋」のそばガレットをいただきました。店先には餌を目当てに雀や鳩がたくさん集まってきていました。
井月さんは、次のように詠んでいます。
気配りの親と知らるる雀かな 井月
この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
軒先で餌をあさる雀の群れ。ちょっと見では区別がつかないが、一羽が親なのか、絶えず外敵に気を配り、雛が食事できるように仕向けている。動物は、魚も鳥も昆虫も親が卵を孵し、巣を掃除し、餌を運んで食わせるひたむきさは人間以上だ。雀は卵からむけたときはあかっちょろで目も開かない。それを独り立ちまで育てる。小鳥に親しみをもって見入る井月。
(親雀・春)
漢詩にも鳥に仮託して親子別離の情を謳い上げた名作があります。
唐代の詩魔と呼ばれる白居易の「燕詩示劉叟」。劉叟の息子が老いた親を置いて家を出て行き、帰ってこなくなったことについて詠った「燕の詩 劉叟に示す」です。
梁上有雙燕 梁上(りょうじょう)に 雙燕(そうえん)有り
翩翩雄與雌 翩々(へんぺん)たり 雄と雌と
銜泥兩椽間 泥を銜(ふく)む 両椽(りょうてん)の間
一巣生四兒 一巣に 四児を生む
四兒日夜長 四児 日夜に長じ
索食聲孜孜 食を索(もと)むる 聲(こえ)孜孜(しし)たり
青蟲不易捕 青蟲(せいちゅう)捕へ易すからざるも
黄口無飽期 黄口(こうこう)飽く期(とき)無し
觜爪雖欲弊 觜爪(しそう) 弊(つか)れんと欲すと 雖(いへど)も
心力不知疲 心力 疲れるを知らず
須臾千來往 須臾(しゅゆ)に 千たび 来往し
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