い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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獣や大根に恩を感ずるように【井月さんのこころ39】

 朝夕に大根の恩や冬籠    井月 

 以下、この句の評釈についても、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 大根は、おろしに、煮物に、漬物に有用な野菜の代表で、太古から人類の健康に役立っている。日本には中国を経て渡来。おおねと呼ばれた。
 「つぎねふ山代女の木鍬持ち打ちし大根(おおね)」(七ー二年成立古事記歌 謡六四)霜雪に閉ざされ外出もままならず、青物の乏しい冬はなおさら保存のきく大根は有り難い。
 (冬籠・冬)

写真:大根(ムロに保存したものを必要なだけ取り出して使い、余りは冷蔵庫で保冷して使います。
   地大根は干して漬け込みます。)

 保存といえば「たくあん」漬物ですね。
 そして沢庵漬けといえば、必ずそこに登場するのが「沢庵和尚」です澤庵宗彭(たくあんそうほう)という江戸時代前期に活躍した臨済宗の名僧です。
 沢庵和尚が考案したから沢庵漬けと呼ばれるという説が一般的で、他にも関西で広く食べられていた大根漬けを沢庵和尚が江戸に広めたとか、沢庵和尚が徳川家光に供した「たくわえ漬け」を、家光が「沢庵漬け」と命名したとか。諸説あるようであります。
 さて、和食の付け合せに使われる「たくあん」ですが、その切れ数にも関東と関西で違いがあるのだとか。
 関東では三切は「身切れ」につながり縁起が悪いので二切れが一般的と。
 関西では、三切は三方「三宝=仏・法・僧」につながって縁起がよいのだと。
 写真:大根の恩(味噌汁に入れ、沢庵やオロシでも 南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧)

 年の暮れ、今年一年あったことを思い出してみますと、
 今年は、春に出雲大社の60年に一度の御遷宮、秋に伊勢神宮の20年に一度の御遷宮が重なる歳でした。
 出雲大社では江戸時代初期に造られた高さ24mの国宝大本殿の大屋根の檜皮(ひわだ)の葺替え、伊勢神宮では正殿などの建替えが行なわれました。
 出雲大社で思い出すのは、出雲を初めて訪ねた平成17年(2005年)のこと。酉歳で小野御柱が終わった秋11月のことでした。
 大社近くの荒神谷遺跡では、大量の銅剣が発掘(1984年)され、出雲大社では3本の巨大な柱の跡が発見(2000年)されて、注目を集め始めていた頃です。
 これまでは神話の世界のことであった、出雲から諏訪へ逃れた民族がいたことや、青銅器文明から鉄器文明への突然の交替を伴って古代史が動いたことの実証が当にされようとしている時期だったと思います。
 特に巨大な「心の御柱」の発見は、18世紀末に本居宣長が「玉勝間」に記した「金輪造営の図」に描かれた中世の16丈の高さの出雲大社が現実に存在していたことを証明する大発見でありました。1丈は3.0303mですから48.5mで、江戸初期に建てられた現存の建物の2倍の高さになります。神話を裏付ける考古学的な大発見でした。
 大和族に戦いを挑んだ出雲族「金色(こんじき)の民」の存在をワクワクしながら確かめようと訪ねた8年前の出雲大社「二礼四拍手一拝」の旅でした。
  写真: 小野御柱(矢彦神社「一の御柱」)



 ちなみに巨木を建てる「御柱」は諏訪御柱も小野御柱も「一の柱」は5丈5尺(約16.7m)。これが縦に3本分ということになります。根元の3本を纏めて建てるところまでは何とか想像がつきますが、どうやって金輪(かなわ)を巻いたのか。昇るために、長さ100mもの階段が付いていたそうでありますが、その上にどうやって柱を持ち上げて組み立てたのでしょうか。現在の長野県庁を木造で建てるようなものです。
 まして、上古の高さはその倍の32丈、というと97m。国譲りの条件とはいえ、そんな巨大な神殿を建てる技術がはたして存在していたのでしょうか。

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