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Vol108■真田伝説の本丸、「上田城」探訪

真田昌幸によって築城され、戦国時代には合戦の舞台にもなった上田城。
昌幸とその子幸村(信繁)に率いられたわずか2千の真田勢が、関ヶ原へと向かう徳川秀忠率いる3万8千の大軍を足止めした「第二次上田合戦」は、今も名高い戦として語り継がれています。

しかし、昌幸・幸村の奮闘もむなしく関ヶ原の合戦は東軍(徳川方)の勝利。徳川勢を苦しめた上田城は、徳川の手によって破壊されてしまいました。現在、上田城跡公園内には3棟の櫓(やぐら)が存在し、本丸や二の丸の跡もそのまま残り、塀や石垣などから当時の様子を垣間見ることができます。

今回は、この上田城にまつわる伝説や公園内の見どころを詳しくご紹介していきましょう。


上田城跡公園内にある真田神社


■真田神社
「真田神社」は、昌幸・幸村の父子を主神とし、江戸時代に民政を尽くした歴代上田藩主の仙石・松平両氏を祀っている神社です。ここでは知将として名高い昌幸・幸村の神霊を「智恵の神様」として崇めているんですよ。

■真田井戸
真田神社の中にある城内唯一の大井戸「真田井戸」は、中を覗いても底が見えないほどの深さ。実は、この井戸は水を汲むためのものではなく、城の北方にある太郎山の麓への抜け穴として利用されていたという伝説もあるんですよ。
ちなみに、幸村にゆかりのある大阪城や和歌山県の九度山にも同じような抜け穴の伝説が残っているそうです。

写真左:真田井戸
写真右:上田城の北側に位置する太郎山の麓には、この真田神社とつながっているといわれる井戸が残っている

■真田石
東虎口(ひがしこぐち)櫓門の石垣には、ひときわ目を引く大きな石が使われています。これは、真田昌幸が上田城を築城した際に太郎山から掘り出したと伝えられる「真田石」。昌幸の息子で、幸村の兄である信之が松代に移封されるとき、真田家の家宝としてなんとかこの石を持って行こうとしたのですが、全く動かなかったという伝説が残っているんですよ。


直径約3mという巨大な「真田石」は、石垣の礎石となっている

上田城跡公園について詳しくはこちら≫(パソコン用)
☆真田一族ゆかりの地についてはこちらもどうぞ(週刊信州Vol.29特集)(パソコン・携帯兼用)


11月6日(土)~14日(日)、「信州上田城けやき並木紅葉まつり」が開催され、連日さまざまな催しが行われる。

■けやき並木遊歩道
「けやき並木遊歩道」は、紅葉の季節、上田城跡公園で一番美しい場所。元々は二の丸のお堀だった場所だとか。色鮮やかな紅葉の中を歩きながら、戦国時代に思いを馳せてみるのもいいですね。

「2010 信州上田城けやき並木紅葉まつり」についてはこちら≫(パソコン用)


この秋、真田一族ゆかりの地を訪ねる旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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