2016.12.14 [ 南信州の伝統・文化・史跡 ]
街並みハイク、まちづくり講演会がありました
まちなみハイクの一行は、堀端再開発ビル付近の裏界線を通り、りんご並木に向かいます。
りんご並木は、飯田大火の復興のシンボルとして、今も街のシンボルとして、飯田東中学校の生徒により、現在も整備されています。
講師の説明を受けながら、今まで通ったことのない裏界線を進み、一行は中央公園に到着しました。この中央公園は、谷川の上にあり、人工地盤の上に公園、市民プール、駐車場と利用されています。ここも重要な防火帯として飯田大火のあと飯田市により整備されてきました。飯田市中心街は二本の30m幅員の防火帯道路が街の中心で交差し、町が4分割になるように整備されています。万が一の大火災時に四分の一の町の焼失でくい止め、それ以上の延焼を防ぐためです。
また、りんご並木の延長上には、さくら並木があります。さくら並木の中、吾妻町には円形貯水槽があり、昭和初期からロータリーとして存在していました。近年になり、このロータリー型の交差点がラウンドアバウトと呼ばれ、信号機が要らないため災害時に強い交差点として全国で認知されていますが、飯田市は先進的な取り組みを昔から行っていました。
裏界線をどんどん進みます。
浜井場小学校です。
めずらしい円形校舎となっており、飯田大火の復興シンボルのひとつとして何か変わったレガシーを造ろうと建設されたようです。
専照寺鐘楼門です。
昔からある重厚感のある立派な門です。大火により周辺は消失したにも関わらず、この門は消失を免れており、信仰の厚い地元住民がお寺だけは焼くものかの思いで消火活動をしたのかと思わせます。丘の上のお寺の配置をみると飯田市街地を囲むように配置されています。江戸時代に飯田城に攻め込まれるのを防ぎ、城下町に火が放たれないように、下伊那のお寺がまとめて配置されたようです。
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