2014.10.25 [ 自然・山・花 ]
早咲きの菊に 【井月さんのこころ83】
大鹿村大河原釜沢で非常口予定地付近を視察
トンネルからの発生土を搬出する県道・松川インター大鹿線は幅員が狭い箇所が多いため改良が必要なこと、県道・赤石岳公園線沿いは発生土の仮置場となる平地が少ないことなど、クリアすべき種々の課題があると思いました。
釜沢集落から山奥に入った林道の終点には、南北朝時代に南朝の宗良親王がおよそ30年間住まわれた御所平があり、御在所の建物が復元され、歌碑が建てられていました。
宗良親王(むねよししんのう/むねながしんのう 1311年~85年)は、後醍醐天皇の皇子で釜沢にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は宗良親王の墓と伝えられています。
いづかたも山の端近き柴の戸は月見る空やすくなかるらむ 宗良親王
現代語に訳すと「どちらの方角も山の稜線が迫っている庵からは、月を眺めようにも、空が少ししか見えないだろうなあ。」
今年の地大根も収穫の時期を迎えました。太い・細い、長い・短いと出来具合はさまざまです。
不揃いな大根も良いではないか。大きさ太さに違いがあっても、捨てずに活かす。子供達の教育も世の経済もしかり、個性を大切にして伸ばすことが大事でしょう。
細井平洲を師と仰いだ上杉鷹山公曰く、「大切なのはやさしさとおもいやりの心 恕(じょ)、恕(ゆる)しの心である」と。 最近の日本の社会で足りていないのは、この「恕」なのではないかと思う今日この頃です。
咲き揃ふ菊に恕しの平洲や 青巒
さて、前出の竹入弘元先生の評釈にあったとおり、万葉集には菊を詠んだ和歌が一首もないとのことですが、菊の和歌で有名なのは、百人一首にもあるこちらですね。
心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
現代語に訳すと「もし手折るならば、あてずっぽうに手折ってみようか。真っ白な初霜が降りて見分けがつかなくなっているのだから、白菊の花と。」
『古今集』秋下・277、この和歌について、正岡子規は酷評していますが、初霜の白と白菊との見分けがつかなくなっている様子は、単なる誇張ではなくて、風流と解すべきでしょう。
菊の華も富貴に素して千の手間 青巒
今週の結びは、愚良子先生が詠んでいるこの句です。
こちらの見分けも難しいですね。
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