2015.01.03 [ 歴史・祭・暮らし ]
万歳に 【井月さんのこころ95】
井月さんのこころ シリーズ その95
あけましておめでとうございます。
初詣で、書初めなどは、お済みでしょうか。
新年に訪れる万歳を井月さんはこう詠んでいます。
万歳や人が笑ひばしたり顔 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
万歳は正月に家々を訪れる門付。主役の太夫と、鼓を打つ才蔵と、賀詞、立舞い、唄、滑稽な問答で米銭を乞う。観客が笑うと、自慢げな顔つきをしたと。
足洗ひでも言及したが、イとエの混同。「笑ひば」は「笑えば」の越後訛りか。それとも、中井三好氏の言われる京都辺の言葉か。井月は二十歳頃京都辺にいて学問に打ち込んでいた。その時関西弁を覚えたのではと。
(万歳・新年)
井月さんの時代、新年に言祝ぎの話芸で門付けしながら歩いた万歳芸人がいました。三河万歳や尾張万歳などが盛んで、娯楽性が高い現代の漫才の元になったといわれています。
井月さんの残した俳句の数はおよそ1800。そして、井月さんが「我が道の神」と拝んだ芭蕉翁が残した俳句の数は1000にも満たないとのことです。
芭蕉翁の新年の句にも「万歳」が登場します。
山里は万歳遅し梅の花 芭蕉
この句は、芭蕉翁が「大津絵の筆のはじめは何仏」を詠んだと同じ元禄4年の句で、大津から故郷の伊賀上野へ帰り、梅の花咲く山里へ初春遅めに訪れた万歳を詠んでいます。奥の細道から帰って「不易流行」を説き始めた頃の句です。「不易流行」は、向井去来が遺した『去来抄』に……
「去来曰、蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云有。是を二ツに分って教へ給へども、其基は一ツ也、不易を知らざれば基立ちがたく、流行を辧(わきま)へざれば風あらたならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なれば、千歳不易といふ。流行は一時一時の變にして、昨日の風今日よろしからず、今日の風明日に用ひがたきゆへ、一時流行とは云はやる事をいふなり。」
「不易」は時代の新古を超越して不変なるもの、「流行」はそのときどきに応じて変化してゆくもの。両者は対立するものではなく、「流行」を得ればおのずから「不易」を生じ、また「不易」に徹すれば「流行」を生ずるものであり、蕉風俳諧の真髄・本質的な性格を表す理念です。
芭蕉翁曰く「松のことは松に聞け」と。「松心鶴性」は、中学生時代の書初めのお題にありました。
ところで、初夢はみましたか。
万歳の言祝ぎは、祝い言葉を述べる寿ぎ。そして、おめでたい初夢や福笑いを。
敷妙の枕紙なり宝船 井月
初夢といえば、一富士、二鷹、三なすび。懐かしい福笑いは、おかめとひょっとこ。
初夢に未も昇るや富士の山 青巒
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