い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

伊那街道の伊那部宿

 歴史・祭・暮らしのHです。
 伊那市駅西、河岸段丘上の伊那部宿を紹介します。

 「伊那部宿総合調査報告書」と「伊那部宿とその周辺」(いずれも伊那部宿を考える会発行)によると、伊那部宿は伊那街道(三州街道)の飯田城下と塩尻宿のほぼ中間に位置し、西に向かうと権兵衛峠を越えて中山道へ、東に向かうと高遠城下を経て甲州街道へ通じ、馬を利用した物流の要所であり、全長320mの宿場は名主団で宿場を独占していたとのことです。




 伊那市駅を出て西に歩き、最初の信号を左右に向かう、通り町、春日町と言われる県道が、明治27年に三州街道として新たに整備されたため、江戸時代の街道の面影を残す建物や宿場の南北両端の「鍵の手」と呼ばれる直角に曲がった道か残っています。
 何度か大火に見舞われ、近年では昭和23年に宿場北部17戸が全半焼となったため、北部では宿場の面影を残す建物を見ることはできません。伊那部宿の案内板の脇に庚甲塔があり、中には判読しにくいものもあります。大火の火炎によるとされています。



 伊那部宿の建物(町家)には門構えのあるものもあり、幕末に高遠藩へ多額の献金をし、門構えを許された名主の町家です。本来、江戸時代の宿場で門構えが許されていたのは本陣や脇本陣に限られていました。
 なお、伊那部宿の本陣の建物は残っていません。



 古民家に特徴的な大戸のある町家も見ることができます。



 大火に見舞われても敷地の奥に多くの土蔵が残っています。



 中には石造の蔵もあります。



 伊那部宿は高台にあり井戸の他、水確保のため、下段の問屋道と呼ばれた小路沿い等に計4か所の清水が整備されていました。



 川崎市の日本民家園には伊那部宿から移築された旧三澤家住宅が、神奈川県指定重要文化財として公開されています。
 伊那部宿の中央付近と端の「鍵の手」付近には2番目の写真の案内板が設置されています。
 伊那部宿の位置は下の地図の矢印付近を中心とし、北東の交差点から南西のT字路までです。

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