2013.08.31 [ 歴史・祭・暮らし ]
七草咲く穂屋祭の頃【井月さんのこころ24】
また、井月さんのお友達であった竹風さんも「萩」を詠んでいますね。
こぼれてもこぼれても萩の盛りかな 竹風
さて、秋の七草で忘れてならないのは、芒(すすき)別名「尾花」ですね。
芭蕉翁が「芒」を詠んでいます。
雪散るや穂屋の芒の刈残し 芭蕉
写真:芒と女郎花
矢彦神社の神様が狩りに出かけてこられる、秋口の風封じ・虫封じと豊年祈願の祭りでもあります。かつては、芒を刈って屋根を葺いた仮宮(狩宮)を建てて御神体をお移しして、数日がかりの大きな行事だったと伝わります。
現在は、矢彦神社の社殿の一つが移築されてあり、前日の宵宮は、當屋(とうや)の皆さんが、お庭草を刈り注連(しめ)を張り、御射山口に境灯篭と幟を立てて、矢彦神社から御神体をお迎えし、御下り待ちの神事(前夜祭)を行い、翌日の本祭りに備えます。
子供の頃の宵祭りの思い出は、すがれ追いです。御射山の周辺は、現在は鬱蒼とした唐松林になっていますが、当時は開墾された畑で土手には「すがれ」の巣がたくさんありました。蛙の肉に真綿を付けて蜂に咥えさせ、それを目印に追いかけます。伊那谷の風物詩ですが、今年は凶作だとか。蜂はほとんど見かけませんね。
写真: 境灯篭 と 幟
翌日は、午後1時から本祭の神事を行い、直会(なおらい)を行なった後、御神体を神社にお帰しする還行祭を執り行ってお開きになり、翌年の當屋(とうや)の皆さんが後片付けを行います。
今年は雨模様でしたので、本祭に続けて還行祭を行ってから狩宮に見立てた公民館に座を移して直会を行うことになりました。
玉串は、先代の宮司さんのときは榊(通常は「そよぎ」)を使っていましたが、最近は、古式にのっとり柏の葉に芒を結えたものを使用するようになりました。
氏子は、神前に供えた芒の穂を一本ずつ戴いて帰り、家の玄関などにお守りとして一年間挿しておきます。
かつて當屋(とうや)を務めた時に御神体をお運びしたことがありますが、毎年、麻の幣が付け加わって重くなった棒の先に「さなぎ鉾(ほこ)」が隠されていました。鉄製の鐸だと思われますが、これが御神体そのものなのだそうです。
井月さんにも、穂屋祭を詠んだ句がありました。
芒さへ花と見られて穂屋祭 井月
復本一郎氏が岩波文庫「井月句集」において、この句に付した注釈に、穂屋祭について、『改正月令博物筌』の七月二十七日の同項に「穂屋作りの御神事なり。信濃国諏訪明神、此の日薄(すすき)にて神殿をつくる。・・・」とありましたので、諏訪大社の公式ホームページを探してみたところ、概ね次のように書かれていました。
御射山社祭(上社・下社)8月27日
上社の御射山社は八ケ岳の山麓にあり、下社は江戸時代初期に八島高原から秋宮東北五キロ程の山中に移された。
青萱の穂で仮屋を葺き、神職等が参籠の上、祭典を行うので「穂屋祭」の名称がある。
鎌倉幕府は全国の武将をこの神事に参列させ、八島高原や霧ケ峯一帯で武芸を競わせたりして祭事を執行し、参加した武将は御分霊を拝戴して任地に赴き御分社を祀った。そのため多くの御分社は例祭日を秋の二十七日前後にしている。
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