い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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不苦者迂智(ふくはうち)に 【井月さんのこころ152】

 この日記を読むと、寒い季節の井月さんの難渋ぶりがわかります。

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 明治十七年申年(註 旧暦十六年)

 1月22日 旧十二月廿四日
  厳寒。去る十二月廿二日赤木秋月投宿。隣家風呂に行。此夜あるじ遊びに出不帰。
 廿三日
  晴 寒。 今朝四時過出立、弁当無にて福島里井亭へ這入、下駄緒を直し下寺喜撰楼へ夕刻投じ泊る。御仕きせ一本御恵。
 廿四日
  晴、寒風烈一等甚寒貞婦。赤木秋月亭に矢立を忘て
     こり性もなくて矢立の寒さ哉
     焚火してもてなす雪の宿り哉
     粟粥でつなぐ命や雪の旅
  心有て一酒を饗応、きび餅の興
     羽二重の袂みやげや冨喜の薹
    (以下 7首 略)

 改めて、遡回その46で紹介した句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

   焚火してもてなす雪の宿り哉  井月

 旧暦明治十六年十二月下旬、昨夜の家で、主人は外出、置き去りにされ、朝四時に抜け出して手良まで十余キロの道を辿ってきた。
 井月は、多く語らないが、井月の昨夜来の様子は、厳寒に想像を絶するものだった。それだけに、この家にたどり着いて安堵、焚火に手をかざし、「お仕きせ一本お恵」に預かる。
  (焚火・冬)

   粟粥でつなぐ命や雪の旅  井月

 雪道を辿り着いた知人の家。粟粥を装ってもらって蘇生の思い。長年井月を迎え入れてきた伊那の地も、老いた井月に冷淡、加えて日本の時流は遊俳には住みにくい。近代日本は君主国、富国強兵策に突進。明治十六年ころは欽定憲法制定前夜で、民衆の解放は幻影に終わる。追いつめられた晩年の井月。
 全集の「雪の宿」を「雪の旅」に改める。日記の原文を見た上で。
 (雪・冬)

 この明治十六年(旧暦)大晦日(新暦1月27日)は、廿三日に続いて再び常宿であった手良の喜撰楼で越年しています。
  十二月大晦日
    雪天。喜撰楼越年。
     世のちりを降隠しけり今朝の雪
     木々の雪花とながめて年暮ぬ
     雪が来て些(やや)春めきし野面かな
  十七年申元旦
    初日春色。
     已に雪は消んとしたり初日影
     初鶏や秦の掟を思はるる
     (以下 略)

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