い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

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蛍の光と還暦に 【井月さんのこころ119】

 井月さんの蛍を詠んだ句は、遡回その14で紹介しました。再掲になりますが、

   水くれて夕かげ待つや蛍籠  井月

 以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
 昼も光る蛍、宵闇迫れば夢幻の世界。蛍籠は、昔は布を張った円形。中の蛍が弱らないように水をくれて夜を待つ。蚊帳を張って蛍を放った懐かしい思い出。中国では蛍の光、窓の雪で夜も勉強した。「もの思えば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る 和泉式部」話題にはこと欠かない。伊那市は「子供にはまたげぬ川や飛蛍」の井月句碑を一九九六年三峰川左岸に建立。
  (蛍・夏)

2013年6月22日 ほたる飛び交う頃【井月さんのこころ14】

第67回信州辰野ほたる祭り

 竹入弘元先生の評釈にも登場した中国の故事に由来する唱歌『蛍の光』について、調べてみました。

 井月さんが還暦を迎えた明治14年に編纂された「小学唱歌集」初編に『ほたるのひかり』が登場したのだそうです。今年還暦を迎える我々の年代の卒業式の定番の唱歌は『蛍の光』と『仰げば尊し』ですね。暮らしは豊かではありませんでしたが、友達や恩師との絆は強いものがあった懐かしい時代です。

 歌詞の冒頭にある「蛍の光、窓の雪」は、有名な故事「蛍雪の功」に由来します。

 東晋の時代の「車胤」は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の「孫康」は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この二人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。

 蒙求、孫康映雪 車胤聚螢

 孫氏世録曰、康家貧無油。常映雪讀書。少小清介、交遊不雜。後至御史大夫。

 晉車胤字武子、南平人。恭勤不倦、博覽多通。家貧不常得油。夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。

 桓温在荊州、辟爲從事。以辯識義理、深重之。稍遷征西長史、遂顯於朝廷。時武子與呉隱之、以寒素博學知名于世、又善於賞會。當時毎有盛坐、而武子不在、皆云、無車公不樂。終吏部尚書。

 「小学唱歌集」についてウィキぺディアには次のとおり。

 小学唱歌集(小學唱歌集)は、1879年(明治12年)に伊澤修二の主唱で創設された文部省音楽取調掛によって、学校教育用に編纂された唱歌集である。1884年(明治17年)にかけて順次出版された初編、第二編、第三編の全三編から構成されている。

 伊那市高遠町出身の伊澤修二先生は、明治時代に当時の東京師範学校長や東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の初代校長を歴任し、近代日本の音楽教育の基礎を築いた人物として知られています。

2015.04.06 伊澤修二の生家~近代日本の音楽教育の先駆者~

 CIMG3946 (766x1024) 高遠町図書館前  伊澤修二先生胸像

 唱歌『仰げば尊し』は、1884年(明治17年)発行の「小学唱歌集」第3編に初めて収録され、昭和年代まで続く卒業式の定番曲となったのだそうです。

 三度、甘茶をかけた誕生佛の指先の意味です。

  還暦や蛍火コギトエルゴスム  青巒

       重宝なるや釈尊の指先  朴翆

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