い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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玉苗植うる頃【井月さんのこころ62】

 この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、

 玉苗の玉は美称で、早苗のこと。お田植えの若苗。苗代から苗を取り、田に大勢で一斉に田植え。玉苗を手にうら若い乙女が田に下り立つ。すそをからげてあらわになった白いはぎの美しいこと。玉苗と乙女の響き合い。
 鎌倉時代末期の吉田兼好著『徒然草』にも、物洗う女のはぎの白きを見て通力を失った久米仙人の話が出ている。
 (玉苗・夏)

徒然草 第8段 「世の人の心惑はす事」

 世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
 匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

 この久米仙人伝説は、もともと『今昔物語』に登場する話であり、東大寺の大仏殿建立に当たり神通力で空を飛んで大木を運んだ功により免田30町を与えられ「久米寺」を創建した仙人のお話しとのことです。
 奈良県橿原市「かしはら探訪ナビ」には次のように紹介されています。

久米仙人伝説(くめせんにんでんせつ)

 久米仙人は、欽明(きんめい)天皇の御代、金剛山麓葛城の里に生まれたとされています。吉野山麓龍門ヶ獄(りゅうもんがたけ)で神通飛行術を取得し、空中を自由に飛べるようになりました。
 その後、百数十年もの間、久米寺に住んでいたといわれています。聖武(しょうむ)天皇が東大寺に大仏殿を建立する際、勅命を受けた久米仙人は神変不思議の仙術を使い、国々にある大木大石の数々を三日三夜の内に大仏殿境内まで飛ばして集めて見せました。その甲斐あって大仏殿の建立は速やかに成就したと伝えられています。久米仙人の働きに深く感銘した聖武天皇は、免田30町歩を与えたということです。
 この伝説は、「今昔物語」にも見られます。
 久米仙人のユーモラスな伝説では、神通力を得て空中を飛びまわっていた仙人は、ある日、川で美しい女性が洗濯しているところに遭遇し、その女性のふくらはぎに目がくらみ神通力を失い墜落したという話も残っています。

 文字通りに話が飛躍し、田植えの話からかなり脱線してしまいましたが、
 井月さんの句に登場する田植え風景は、ほかにも

  押寄せてのっぴきならぬ田植かな  井月
  
  早乙女の数に加はる男かな  井月

 田植えを一気に片付けられる神通力はないものかと子供心にいつも思っていましたら、そのうちに出ました。二条植えの「みのる式」田植機。最近の田植機のように乗用型でなくて機械の後ろを歩いて付いて回るものでしたが、ずいぶん楽に感じたものでした。
 ともあれ、田植えが済むと次はぼた草刈りが待っています。

 

写真:真言宗恩徳寺境内で(南箕輪村沢尻)



 代掻きの泥にも染まず水馬
        (みずすまし)青巒
 

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