い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

い~な 上伊那

2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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春雨に鯉はねる頃 【井月さんのこころ157】

井月さんのこころ シリーズ その157

 5日(土)長野県伊那技術専門校の閉校式が南箕輪村の同校学生ホールで行われました。
 昭和21年5月に前身の伊那職業補導所(建築科)を伊那市室町に開設して以来、同校は70年の歴史を歩んで6,704人の修了生を輩出し、伊那谷のものづくりを中心とする産業人材の育成に貢献してきました。
 半田直道校長の式辞、太田寛副知事の挨拶に続いて、来賓を代表して向山公人県議会議員と旧伊那職業訓練協会の宮脇眞会長から挨拶があり、校歌を斉唱し、校旗を収納して、厳粛なうちに長い歴史の幕を閉じました。

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 4月からは、同校を引き継ぐ形で南信工科短期大学校が開校されます。
 伊那技術専門校の閉校式終了後、改修・新築が旧ピッチで進む南信工科短期大学校の施設見学をさせていただきました。

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 南信工科短期大学校は、2年制で、学科は、「機械・生産技術科」と「電気・制御技術科」の二つ。「機械・生産技術科」では付加価値の高い機械製品を創る技術を、「電気・制御技術科」ではエネルギーやエレクトロニクスなどの技術を学びます。即戦力となる実践的能力の養成、少人数教育、技術革新に対応できるカリキュラム、先端機器を使用した実験と実習、などが教育の特長です。詳細は、こちら

 先週、三遠南信地域を視察しに愛知県・静岡県を訪ねました。
 井月さんが生きた時代、火伏せの神「秋葉神社」への信仰の道は、現在の国道152号線に沿った中央構造線の谷でした。高遠城下から長谷の分杭峠を越えて大鹿を通り、地蔵峠を越えて遠山郷を抜け、青崩峠を越えて現在の愛知県・静岡県境を南に下る徒歩の道が秋葉街道です。
 現在、三遠南信自動車道が、飯田市(中央道 飯田山本IC)を起点として東進し、喬木村から矢筈トンネル(4,176m)を抜けて程野から遠山谷を南下し、工事中の青崩トンネル(約4.9km)を抜けるべく順次整備中であり、愛知県東部を経由し静岡県浜松市(新東名浜松いなさJCT)に至る延長約100㎞(うち長野県内約50km)の高規格幹線道路として近い将来開通することになっています。
 このうち長野県内は、矢筈トンネルを含む小川路峠道路(6.0km)が平成6年3月、飯田山本IC―天竜峡IC(7.2km)が平成20年4月に共用開始となっており、南からも浜松いなさJCTから鳳来峡ICまでの13.9kmが平成24年3月に供用済みで、更にその先佐久間ICまでの27.9kmのうち東栄IC-佐久間IC間が平成30年度までに開通予定となっています。詳細は、こちら

 平成39年(2027年)のリニア中央新幹線の品川・名古屋間の開業に加え、中央道、新東名・東名高速道路を相互に連絡した高規格幹線道路ネットワークが完成すれば、南信地域と東三河・遠州地域の結びつきが深まり、航空・宇宙産業等の振興、広域観光や災害発生時の代替性確保などに大きく寄与するものと期待されます。
 今回は、幻の国(酷)道といわれる天竜川左岸の国道152号ルートがまだ通れないため、天竜峡ICから天竜川右岸の国道151号ルートを南下し、阿南町新野峠を越えて愛知県に入り、豊根村、東栄町を下り、三遠南信自動車道の工事中箇所(東栄IC-鳳来峡IC間)を横目に見ながら、新城市の鳳来峡ICから三遠南信自動車道に入って、3つのトンネルを通り抜けて静岡県浜松市に入り、新東名高速道路の浜松いなさJCT、東名高速道路の三ケ日JCTを抜けて、愛知県に再び入って、豊川ICを降り、先ず三河國一之宮砥鹿神社(とがじんじゃ)里宮に立ち寄りました。

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  大已貴命(おおなむちのみこと)を祀る砥鹿神社の里宮は、文武天皇の大宝年間(701~704年)に天皇の病を鎮めるため「煙巌山(えんごんさん)」に勅使として派遣された草砥鹿公宣卿が三河山中で道に迷い、老翁の導きで無事祈願を果たした後、病が平癒した天皇からお礼に再び派遣された公宣卿が三河国本茂山(ほのしげやま)で老翁と面会し、その望みにより山麓のこの地に宮居を定めることになったものとのことです。砥鹿神社の奥宮は里宮の北約7kmの本宮山(本茂山)にあります。
 里宮に隣接した摂社(せっしゃ)「三河えびす社」には、大己貴命の御子神である智徳の神・事代主命 (ことしろぬしのみこと)と、体徳の神・建御名方命(たけみなかたのみこと)が祀られています。我が産土神である信濃國二之宮矢彦神社の本殿と副殿に祀られている神々です。
 また、砥鹿神社の里宮から北東約25km、愛知県新城市の鳳来寺山頂には、文武天皇の大宝3年(703年)に煙巌山鳳来寺と号した仏閣が造営されています。その後、真言宗鳳来寺の薬師如来に徳川家康の母・於大の方が子宝を祈願して家康が生まれたと伝えられ、徳川幕府の手厚い保護を受けて、日光、久能山と並ぶ三大東照宮のひとつ鳳来山東照宮が祀られています。鳳来寺や鳳来山東照宮は、三遠南信自動車道の鳳来峡ICに近い、JR飯田線の特急「伊那路」の停車駅である湯谷温泉駅から鳳来山パークウェイを登ったところにあります。

 愛知県豊川市の豊川稲荷まで足を延ばしました。
DSC_3493 (800x600) これまでの記事にも度々登場している豊川稲荷については、遡回その50やその115で記したとおり、曹洞宗の寺院であり山号を「円福山 豊川閣 妙厳寺(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)」といいます。
 妙厳寺の法堂は、現在建替え工事中でしたが、豊川稲荷本殿はその隣に鎮座し、霊狐塚や奥の院なども拝観させていただきました。御宝号は、「南無豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)、御真言は、「オン シラバッタ ニリ ウン ソワカ」です。
 我が同姓の祝殿様に勧請している稲穂を荷い、白い狐に跨っておられる天女「お稲荷様」です。
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