い~な 上伊那 2つのアルプスと天竜川からなる伊那谷の北部に位置し、雄大な自然に囲まれた上伊那地域。 この地域の自然、食、歴史や地域のがんばる人々など、私たち職員が見つけ、感じた上伊那の魅力と地域の活力を発信します。

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伊澤修二の生家~近代日本の音楽教育の先駆者~

こんにちは。

魅力発掘探検隊のJです。

 

今回訪れたのは、高遠城址公園近くにある「伊澤修二の生家」です。

伊澤修二は、明治時代に当時の東京師範学校長や東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の初代校長を歴任し、近代日本の音楽教育の基礎を築いた人物として知られています。

 

公園の入り口(進徳館)の前の道路を、東へ200メートル程進むと、住宅地の中に古い民家があります。屋根に石が載っているのが目印です。

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入り口には、「伊澤修二先生出生之地」という大きな石碑が立っています。

 

伊澤の生家は、高遠藩の下級武士の家だったため、それほど大きい建物ではなく、質素なつくりです。内部にも入ることができ、ボタンを押すと伊澤の紹介が放送される設備もあります。

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高遠藩士の家に生まれた伊澤は、幼い時から厳しく育てられ、十歳の時に藩校進徳館に進みました。藩校では学問に励みましたが、幕末の時期に他の藩士とともに江戸へ出て、洋学を志すようになります。

明治維新を迎えると、近代国家を目指す明治政府は、人材育成に乗り出し、全国からエリートを集めました。伊澤も高遠藩から推薦され大学南校(東京大学の前身)に入ります。

その後、文部省に入った伊澤は、アメリカへ留学するなどして、音楽教育に関心を持ちます。

日本へ戻った伊澤は、音楽教育の必要性を説き、音楽取調掛に任じられます。そこでヨーロッパの曲に日本語の歌詞をつけた「唱歌」を作り、唱歌教育が始められました。(その中には、「蛍の光」など有名なものもあります。)

こうして伊澤は近代日本の音楽教育を主導していきました。

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