2016.10.28 [ 南信州の伝統・文化・史跡 ]
~大鹿歌舞伎秋の定期公演~南信州民俗芸能【2016秋】③
地域政策課のRMです。
南信州民俗芸能秋のシリーズ第3段は、10月16日に開催された大鹿歌舞伎秋の定期公演の様子をご紹介します。
当日は素晴らしい秋晴れで、一杯やりながらお弁当をつついて歌舞伎を見るには最高の陽気です。まさに地歌舞伎日和。
県内外から多数のお客さんがお見え(約1,000人!)で、会場の市場神社の境内は人・人・人です。
はじめに保存会長である大鹿村長さんのあいさつがあり、いよいよ開演です。
ちなみに、大鹿歌舞伎の会場では、演目のストーリーや役者さんの素顔(写真)やコメントなどが記載されている「豆冊子」を100円で販売しており、これがあれば楽しさ倍増、役者さんに感情移入して応援できること請け合いです。(本ブログ中の役者さんのニックネームはここから転記しました。)
今年の秋の定期公演は2幕とも源平物で、最初の演目は、平家物語の一ノ谷の合戦を題材にした「一谷嫩軍記 須磨浦の段(いちのたにふたばぐんき すまのうらのだん)」。平氏の平敦盛(若干16歳!)とその許婚の玉織姫の悲劇の物語です。
平敦盛と源氏方の熊谷次郎直実が決闘し、直実が敦盛を組み敷きます。しかし、敦盛の顔を見ると、ちょうど我が子と同じ年頃。哀れに思った直実は敦盛を逃がそうとしますが、味方の平山武者所にとがめられて、泣く泣く首を打ちます。そこへ、平山に斬られて瀕死の玉織姫が登場し、敦盛の亡骸(討ち取られた首)と対面、息絶えます。直実は2人を弔い、悲嘆の涙に暮れながら陣屋に帰る、というストーリー。
敦盛と直実の決闘場面では、さかんにおひねりが飛びます。
個人的には、瀕死の玉織姫が敦盛の首と対面するシーンでの、玉織姫役「るいちゃん」の迫真の演技に涙、涙でした(涙で写真が取れず・・・)。きっと私を含めて男性ファンが増えたことでしょう。敦盛役の「しょーくん」もまだ若いのに堂々とした演技が素晴らしかった。
休憩後は、平家の落ち武者の悪七兵衛景清(あくしちひょうえかげきよ)が、再び源氏に戦いを挑む「六千両後日文章 重忠館の段(ろくせんりょうごじつのぶんしょう しげただやかたのだん)」。映画「大鹿村騒動記」で取り上げられた大鹿村のみに伝わるオリジナル演目です。
大鹿村騒動記では、主演の故原田芳雄さんが景清を演じ、演目の主要な場面(練習の場面も含めて)が映画の中でいくつも出てきます。おかげで、筆者は実演を見たことがないのにこの演目の虜になってしまい、当日も開演前から興奮やら緊張やらでそわそわしておりました。
演目は3部構成で、16人の配役、約1時間半の長編です。第1部は源氏方の畠山次郎重忠が、その妻であり平家方の侍大将の娘でもある道柴に対し、梅の花を通して、道柴の心の奥にある平家への思いを捨てることを諭す場面。重忠役の「こうちゃ」と、大鹿村で2番目にきれい(笑)な道柴役の「ゆみちゃ」の息のあった演技が続きます。
第2部は、重忠の功績をねたんで、これを陥れようとする梶原平次景高が源頼朝の偽りの令状を持参して、重忠の館にとらわれている平清盛の摘孫六代御前の首を差し出すように迫る場面。重忠は景高の魂胆を見抜き、追い払うところで終了。
第3部は、演目のヤマ場で、修験者に身を変えていた悪七兵衛景清が、六代御前を救うため、武者姿となって三保谷四郎国俊と壮絶な戦いをし、その戦いぶりと潔い景清の姿に感動した頼朝が、景清に日向の国を与え、日向匂堂と名乗るように伝える場面です。
景清役の「もりしたあ」が登場すると、会場は大盛り上がり。初めは修験者姿で登場した景清が、
後半はきらびやかな武者姿となり、国俊(「やっちゃ」)と大勝負を繰り広げます。「もりしたあ」も「やっちゃ」も格好良すぎです。2人が見栄を切る場面では、これでもかと掛け声やおひねりが飛びます。
また、第3部の途中には、景清を追って大鹿軍内という捕り手が登場します。荒武者の景清に恐れをなして、なかなか潜伏先の重忠館に踏み込めず、手下を何度も偵察に行かせたり、手下の後ろに隠れたりと、へなちょこぶり満載です。赤石荘の専務(まだ専務?もう社長?)「さとしー」が演じるアドリブ満載の軍内は会場に大ウケ。手下役の大鹿中学校の校長先生にも、生徒からさかんに声援が飛んでいました。
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