2014.10.21 [ 佐久のいい景色 ]
佐久地域の三重塔を訪ねて
佐久建設事務所のIです。
佐久地域の三つの三重塔を紹介します。
一つ目は、佐久市前山にある曹洞宗洞源山貞祥寺(ていしょうじ)から。
七堂伽藍を配し苔むした静寂の空間の中にある名刹。
三重塔は本堂の裏山にある。神仏分離が実行され明治3年(1870)に小海町神光寺から移築。江戸後期の建築と伝わり、扉に施された花鳥の彫刻、先端の水煙は繊細です。
前山城主伴野貞祥が大永元年(1521)、祖父と父の供養のために開基した寺。
山門の屋根には伴野氏の松皮菱と武田菱が融合した紋が戦国の栄枯盛衰を伝えるようで印象的。
伴野庄を基盤とする小笠原一族である伴野氏と、岩村田を基盤とする同族の大井氏が、佐久の二大勢力であったという。甲斐の武田信虎は伴野氏を救援する友好的関係にあり、武田晴信(信玄)にあっては信濃侵攻の足掛かりにしたという。
この寺には、島崎藤村が暮らしたという建物が移築されていますよ。
二つ目は、佐久市田口地籍にある新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)の三重塔(国重要文化財)。
源頼朝にまつわる話が伝わり、武田信玄の戦勝祈願文が伝わり、東本殿は信玄再興という由緒ある神社である。
裏山に壮重な三重塔がある。同社神宮寺の塔であった。廃仏毀釈の吹き荒れる中、神社の宝庫として取り壊しを免れたとのこと。春の桜を背景にした姿を見たい。
三つ目は、御代田町塩野にある真言宗浅間山真楽寺(しんらくじ)の三重塔。
延喜式によると浅間山の鎮静を願って6世紀後半に用明天皇の勅願所として浅間山に造立され、12世紀半ばに今の位置へ移されたと伝えられている。
境内に「浅間山大明神影向舊跡」の碑が残っている。
源頼朝とも縁があるとのこと。
三重塔(長野県宝)は1751年に再建。四面にあるタンポポ、龍、水芭蕉、麒麟のワンポイント彫刻は印象的。
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