来て!観て!松本『彩』発見 歴史と伝統の城下町松本。のどかな田園風景安曇野。そびえたつ雄大なアルプス。自然と文化に彩られたまつもと地域の情報を、松本地域の県職員の発見を織り交ぜつつお届けします。 面白いこと新発見、知ってる人にも再発見、何だこれはの珍発見。当たり前だと思っていたことから、ローカルなことまで職員の発信する情報をお楽しみください。

来て!観て!松本『彩』発見

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計量女子の計量検定所日記「あの人気漫画から探る近代計量制度の話」

こんにちは!計量女子です。
暦の上ではもうすぐ立春…とは言うものの毎日寒い日々が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
計量女子は「Stay Home」を合言葉に、仕事と買い物以外はどこへも出掛けず、自宅に引き篭もって読書に励んでいます。

「鬼滅の刃」1巻~23巻+鬼殺隊見聞録

近年のブームに乗っかり、「鬼滅の刃」単行本全23巻と公式ファンブックを揃えた計量女子。
先日、知人が「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編を見に行ったけど、竈門禰豆子(かまどねずこ)が出てくる場面で寝てしまった」というので「そこは絶対寝ちゃいけない場面です!あなたが血鬼術にかかってどうするんですか!」と熱く語ってしまいました。

そして、計量女子が職場で使っている書類を入れておくクリアファイルも、いつの間にかこんな事になっています。
生殺与奪の権を「鬼滅の刃」に握られた感でいっぱいです。

計量女子の推し、水柱・冨岡義勇(とみおかぎゆう)

ということで、今回は「鬼滅の刃」に出てくる計量単位をご紹介しながら、竈門炭治郎(かまどたんじろう)が活躍していた時代の計量制度について紐解いていこうと思います。
(前回の計量ボーイの記事の続きを期待していた皆さん、申し訳ございません…)

まず「鬼滅の刃」がいつの時代の出来事かを考察しますと、1巻第7話に出てくる炭治郎の「今は大正時代だ」という一言に対して鬼が「47年前、慶応の頃に鬼狩りに捕まった」と返した言葉から、物語の舞台が大正時代初期であることが分かります。
(慶応年間は、西暦にすると1865~1868年。47年後は1912~1915年で、ちょうど大正時代の始まりに当たります。)

炭治郎が生まれる少し前の明治時代中期、日本の計量制度は大きな転機を迎えます。
1885年(明治18年)、日本はメートル条約(度量衡の国際的統一を目的としてフランスで成立したメートル法に関する条約)に加盟しました。

当時の日本では江戸時代以前から「尺貫法」に基づく計量単位が広く用いられていたため、1891年(明治24年)に公布された度量衡法では、尺貫法をメートルやキログラムに換算し、なおかつメートル法を並行して公認するという二元的単位体系が採用されます。
しかし、大正時代に入っても世間では依然として尺貫法が使われ続けていました。

例えば、4巻で竈門炭治郎と同期の鬼殺隊士・我妻善逸(あがつまぜんいつ)が、任務先の那田蜘蛛山で人面蜘蛛と遭遇した時に驚きのあまりこんな事を叫びます。

「畑を耕します 一反でも二反でも耕してみせる‼ 悪夢から覚めてくれぇ──っ‼」
(出典:「鬼滅の刃」4巻第32話 吾峠呼世晴 株式会社集英社)

※実際にはこんなにのんびりとしたシーンではありません。

一反は、メートル法に換算すると991.74平方メートル。一辺が30メートルの正方形の畑が、おおよそ一反です。
畑を一反も二反も耕すのはかなりの重労働だと思いますが、そこまでして善逸は人面蜘蛛から逃れたかったのでしょうか。

また、16巻では岩柱の悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)が

「まず滝に打たれる修行をしてもらい…… 丸太三本を担ぐ修行… 最後にこの岩を 一町先まで押して運ぶ修行…」
(出典:「鬼滅の刃」16巻第134話 吾峠呼世晴 株式会社集英社)

と、無茶な修行を下級鬼殺隊士に命じる場面が出てきます。

※これに加えて「下から火で炙る修行」もありましたが、危険なため無しになりました。

一町(丁)は、メートル法に換算すると109.09メートル。修行で動かす岩は、善逸の身長(164.5センチ)超えの大きさであるように見えました。
最近話題の、須坂市にある「竜の割石(わりいし)」と同じくらいの岩を想像してください。

炭治郎が狭霧山の修行で斬った岩に似ていると評判の「竜の割石」(須坂市坂田)

こんなものを100メートル以上も押して運ぶとか、絶対に無理です。

このように、大正時代の暮らしの中では尺貫法が普通に使用されていました。
一方、第19巻にはこのような記述があります。

「私の全体重三十七キロ分 致死量のおよそ七百倍です」
(出典:「鬼滅の刃」19巻第162話 吾峠呼世晴 株式会社集英社)

蟲柱・胡蝶しのぶが、鬼の弱点である藤の毒を自らの体に取り込んでいる事実を語る場面です。
大正時代は、体重(当時の言い方だと「目方(めかた)」)については尺貫法で表すのが一般的でした。
3.75キログラム=一貫なので、それに従えば「私の全体重十貫分」という表記が適切かと思います。
しかし、作中にはしのぶが医学や薬学に詳しいことが分かる場面が時々出てきます。
当時の医薬学はドイツから来たものが主流であり、またドイツでは日本に先んじて1872年にメートル法を導入しています。
もしかしたら、彼女はドイツ医学を通じて、他の鬼殺隊士よりも早くメートル法に慣れていたのかも知れません。

史実では、1921年(大正10年)にメートル法に一本化する改正度量衡法が公布されますが、日本国民が長年慣れ親しんでいた尺貫法を全てメートル法に切り替えるのというのは困難な作業でした。
度量衡法が廃止、計量法が公布されてメートル法に基づく計量単位が世間一般に浸透するのは、鬼が全て退治された後、炭治郎や善逸の子供や孫の世代(第二次世界大戦後)まで待つこととなります。

※今回ご紹介した場面以外にも、「鬼滅の刃」には尺貫法に基づく単位が出てくる場面があります。
コミックスをお持ちの方は、是非探してみてください。
また、簡単な単位計算については、長野県民手帳(2021年版)資料編の80~81ページをご活用ください。

暮らしに役立つ資料も掲載されている長野県民手帳

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