2014.11.21 [ 文化・伝統 ]
空穂と故郷和田
窪田空穂(くぼた うつぼ)は、松本市が生んだ近代を代表する歌人であり国文学者です。空穂の生まれ育った松本市和田など縁の場所を訪ねてきました。
松本市の和田の「町」という集落の中に空穂の生家があります。本棟造りの豪壮な建物で内部が公開されています。空穂は明治10年(1877)に生まれて、東京専門学校(現早稲田大学)に入学し上京するまでこの家で育ちました。大戸を潜って中に入ると、空穂の生れた明治という時代がにわかに立ち現われてきます。
生家の向かいに「窪田空穂記念館」があって空穂の業績、空穂山脈と呼ばれる広い交友を知ることができます。11月30日まで「空穂と水穂」という企画展が開かれています。太田水穂との交流、水穂が空穂の妻となる藤野との仲立ちをする経緯などを知ることができて興味深いですよ。なお、藤野は松本市島立の亀田屋酒造の娘です。空穂には『亡妻記』という著書がありますが、30歳で夭折した妻を空穂は終生恋したようです。
生家の近くには菩提寺である無極寺などいくつかのお寺があります。和田は江戸時代には天領だったことと関係がありそうです。生垣が揃った家々が並び、豊かな村であった往時が偲ばれます。
空穂を代表するのは、「鉦(かね)ならし信濃の国をゆきゆかばありしながらの母みるらむか」という歌ではないでしょうか。この歌は、二十歳で母「ちか」を喪って数年後に作られた歌で、歌碑が城山公園にあります。空穂には母を慕う歌が多くあります。
明治の面影を訪ねて和田から島立を歩いてみたらいかがでしょう。
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