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Vol96■とく☆とく信州(週刊信州2周年記念連載)

要約しますと、その年の梅雨は非常に雨が少なかったようで、稲が実らないことを案じた当時の天皇が、飢饉に備えて大麦や小麦などとともに、蕎麦を栽培して備蓄するように命じたことが書かれているのです。

このように「蕎麦」は、古代から救荒作物として栽培され、幾度となく日本の人々の命を救ってきました。
お蕎麦を食べたときに何となくホッとしたり、旨いそばがあると聞くと何百キロもかけて食べに行ったりするのは、ひょっとして、古代から生命を繋いでくれた蕎麦に対する私たちの特殊な感情がDNA化しているからではないかと私は思っています。

ちなみに、現在のように蕎麦を麺状にして食べるようになったのは、近世、特に江戸時代に入ってから一般化したもので、それまでは、蕎麦がき・蕎麦がゆなどにして食べていたようです。
そして、私たちが普段食べている麺状に切った蕎麦のことを、最初は「そば切り」と呼んでいました。

次回は、その「そば切り」の歴史についてお話します。

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