楽園信州

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<VOL.232>四季彩だより~信濃の国から~

三年に一度の奇祭 ~小菅神社例大祭~(飯山市)

暑い!暑い!真夏を思わせる日が続いていましたが、ここにきて、ようやく梅雨らしくなってきた感があります。
田んぼのカエルの声も今までより少し“ハリ”がでてきたような・・・!?
夏本番まであともう少し! 暑さに気をつけながら、暑さを楽しみましょう!!
さて、今回は、信州の山里の神社に伝わる奇祭の紹介です。


(杉林に凛と立つ本殿)


今回紹介する、小菅神社(こすげじんじゃ)は長野県の飯山市にあります。
小菅神社は、明治時代の神仏分離まで、新義真言宗に属する小菅山元隆寺(こすげざんがんりゅうじ)といい、かつては、同じ長野県の戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として隆盛を誇りました。

創建の由来は定かではありませんが、由来記によると、仏法を広めるのにふさわしい地を求めて諸国を巡っていた修験道の祖である役小角(えんのおづの)が、白鳳8(680)年に小菅山を開山し、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がこの地を訪れ、八所権現本宮などの再建や小菅山元隆寺などを創建したのが、起源とされているそうです。


(静けさに包まれた奥社・本殿)


(例大祭の巫女行列)

室町時代には、小菅山は修験霊場としての隆盛期を迎え、最盛期には、上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊の合計37坊、100の末院、6社、5堂を有し、修験者、山伏、僧侶が300人もいたと言われています。

戦国時代に入ると、信濃全域が上杉氏と武田氏の争覇の舞台となり、小菅山一帯は上杉氏の庇護下に置かれていましたが、永禄10(1567)年の川中島の戦いで上杉軍が敗退し、武田軍によって、小菅山元隆寺は、本堂を除く堂塔はことごとく焼失したとされています。

江戸時代には、霊場としての小菅の統治は、寺院の手から里人の手に移り、祭礼の性格も宗教的なものから参詣者に見せることに重きを置いたものとなっていきました。

そして、明治33(1300)年、神仏分離によって、現在の小菅神社になりました。

現在の奥社である本殿は室町時代中期のもので、神社の祭神8柱を祀っており、昭和39(1964)年に国の重要文化財に指定されています。
本尊は馬頭観音で、祭りなどの特別の日以外は建物の中に入ることはできませんが、建物の奥には「鼓岩」と呼ばれる岩があり、手を打つと太鼓の音が聞こえるそうです。

≪柱松柴燈神事(はしらまつさいとうしんじ)≫

小菅神社には、日本でも珍しい祭りの一つに数えられている「柱松柴燈神事」と呼ばれる神事が3年に一度行われます。今年はちょうどその開催の年に当たっています。


(神事の主役である2つの柱松)

数百年前から行われているこの神事は、真言の護摩修法の一つとして始まったとされ、高さ約4mの柱松(松の枝を束ねたもの)を上(かみ)と下(しも)に分かれて、それぞれ1基立て、松神子と呼ばれる2人の子供が、それぞれ柱松に登り、持っている火打ち金(がね)で、てっぺんにある尾花に火をつけるのを競い合うもので、早く火をつけた方が勝ち!!


(大人の力を借りながら登る松神子)

上が勝てば“天下泰平”、下が勝てば“五穀豊穣”と言われており、現在では、国の重要無形文化財に指定されています。
他にも、艶やかな巫女たちの行列やスサノオノミコトが乗る神輿が担ぎ出される「神輿渡御(みこしとぎょ)」なども行われ、この日は、小菅の里は祭り一色に染まります。

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