2009.07.30 [■四季彩だより~信濃の国から~]
Vol.51■読まなきゃチョーソン市町村 木曽義仲の里
平安時代の末期、木曽谷に平家の独裁を憂い、挙兵した清純な若武者がいた。
その名は、木曽(源)次郎義仲。後に武士として初めて征夷大将軍に任ぜられる。
県歌「信濃の国」にも出てくる、朝日将軍と呼ばれた木曽義仲を紹介しましょう。
木曽義仲と巴御前(義仲館)
義仲たちが学問にいそしんだ場所 手習天神
義仲公は、幼い頃、伯父である源義平の軍勢に父(義賢)を殺され、母(小枝御前)と共に今の埼玉県から木曽の地へ逃れてきました。この地で中原兼遠に助けられ、兼遠の子である樋口兼光・今井兼平・巴御前らとともに木曽谷の大自然の中で武芸や学問を習い、たくましく成長しました。
旗挙八幡宮と呼ばれ、拝殿脇には樹齢千年と伝えられる「義仲元服けやき」がある。
1180年に後白河法皇から平家追討の令旨(りょうじ)を受けて、現木曽町日義で旗挙げを行い、その後、北陸に進撃、京都入りを果たした後、征夷大将軍に任ぜられましたが、後白河法皇の策略により、近江の粟津ヶ原(あわつがはら)で戦死。31歳という若さでした。
義仲公は短い生涯でしたが、木曽の地では若き英雄を800年の時を超え、その偉業を忘れることなく讃えています。現在、NHK大河ドラマの実現を目指した活動も始まっています。
義仲公を讃えるお祭りとして、木曽町日義では、8月14日に【木曽義仲旗挙げまつり(らっぽしょ)】が開催されます。「らっぽしょ」という呼び名の由来は定かではありません。旗挙げにちなんだ武者行列、女性だけで演奏する巴太鼓など、いろいろなイベントが開催され、中でも、山吹山の山腹に松明が焚かれる「木の字焼き」は大変見応えがありますよ。
木曽には、義仲公に常に付き添っていた巴御前にまつわる伝説も残っているんですよ。巴淵は、木曽川が山吹山のふもとを迂回して形づくる深い淵です。この淵に住む龍神が化身して巴御前となり、義仲の生涯を守り続けたといわれています。
山吹山の麓に流れる木曽川にある巴淵
今回紹介した以外にも、木曽町には義仲公にゆかりある史跡がたくさんあります。散策コースも設定されていますので、木曽の歴史と文化に触れてみませんか。
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